Wednesday, October 29, 2008

あなたは運がいいですか?

「あなたは運がいいですか?」と聞かれたら、どう答えるだろうか。

両親がまだ健在なのは、運がいいことの筆頭にあげられるな。父の仕事は何度か大きく失敗したが、ここ10年くらいは売り上げこそ減ってしまったにせよ、そこそこ順調だ。売り上げが多かった頃に貯めたお金で中古マンションまで買ってしまったくらいで、その点で心配させられることはない。学業や仕事に専念できる機会をもらえたことは幸運だったと言える。

振り返ってみれば、大きく道を踏み外しそうになったことが何度かあるが、そのたびに新たな場所に着地することができた。決して素晴らしい人生ではないが、何とか生きている。その点では、運が悪いとは言えまい。

よくよく考えてみれば、「自分に能力があったからうまくいったのだ」とは言い難い。「(ある程度の)能力はあったが、別の重要な能力が欠けていたため、事態は悪化した」ということは何度もあったけど。

この質問の意味はこういうことらしい
 実はこの質問は、あなたのストレスに対処する能力の高さを測るものだ。

 「自分は運がいい」と答えた人は、ストレスに対処する能力が高い人。こういう人は、困難なことに意味を見いだすのが非常にうまい。例えば大切な人の死に遭遇しても、いつまでも嘆き悲しむのではなく、「死」が自分に与えた意味について考える。

 「大切な人の死が、命の尊さを教えてくれた」と理解する人もいれば、「彼の死によって、他人のやさしさが身に沁みた。友人の存在の大きさに気づかせてくれた」といった具合だ。

昨年、大切な友人を失ってしまったが、「大切な人の死が、命の尊さを教えてくれた」とか「彼の死によって、他人のやさしさが身に沁みた。友人の存在の大きさに気づかせてくれた」とか、そんな浅はかな理解はしていない。だが、現世の無常さ、生が失われると二度と戻ってこないこと、死の不思議さ・残酷さなどは、改めて思い知らされた。

しかし、このくだりには違和感を覚える。

 一方、運が悪いと答えた人は、「なんて俺は不幸なんだ。なんで俺だけこんなことになるんだ」と、うまくいかない理由をすべて運(=神様)のせいにしてい る。出合った困難に意味を見いだせず、周りにある元気になる力(傘)に気づけなかった人。意味を見いだせないのだから、運のせいにするしかない。そっと傘 を差し出してくれた人にも気づくことなく、いつまでも嘆き続けるのである。

 ストレスに対処する能力の高い人とは、ストレスを感じない鉄人のことではない。人生の雨に濡れた時、自分や他人の傘を上手に使える人なのだ。どん なにいい傘が近くにあっても、どんなに頑丈な傘を他人が差し出しても、それに気づかなければ意味がない。傘の存在に気づくことが、何よりも大切なのだ。

もし私が不幸であるとしたら、それは私に与えられた運命ではないか。「出合った困難に意味を見いだせず、周りにある元気になる力(傘)に気づけなかった」としたら、それはその人の抱えるべき業ではないのか。仕事の上では、他人にうまく物事を頼むことができることは悪いことではない。人の上に立つなら、必須でさえある。しかし、「人生の雨に濡れた時、自分や他人の傘を上手に使える人」と言われれば、他人をうまく利用する人を想像してしまう。そういいうのは嫌だ。

ただ、それとは全く違うレベルで、今の私の仕事が回っているのは、たくさんの外注さんのおかげであることは確かだ。今後も、いろんな外注さんとお付き合いしていきたいと考えている。

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