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水曜日, 2月 25, 2026

死はピリオドではない。コンマである。


大切な人を失った先に見つけた、自分だけの「死生観」という救い

僕は(仕事の)パートナーを亡くしました。その深い喪失の中で、たくさんのことを考えました。宗教の言葉に救いを求めたこともあります。でも最終的に、自分自身で一つの「考え方」を編み出すことで、ようやく心が少しだけ軽くなりました。


これは宗教でも教えでもありません。ただ、苦しみの中でたどり着いた一つの物語です。同じように辛い思いをしている誰かの心が、少しでも楽になればと思い、書き残しておきます。



宗教に救いを求めて、救われなかった話

YouTubeで仏教関連の動画をよく見ていた時期がありました。ある日、親鸞会(浄土真宗・親鸞上人の教えを基盤とする団体)の方の講話に出会いました。親鸞上人の教えは「自力では救われない」「他力本願」という特徴を持っています。それ自体は深い思想だと思います。


でも、パートナーを失って極度に苦しんでいるその時の自分には、その言葉が届きませんでした。説教っぽく感じてしまい、重荷が増えるだけだったのです。


宗教の本質的な役割は、人が最も苦しんでいるとき——死の恐怖、大切な人の死、病気——に、心と頭の両方を納得させて救うことだと思います。ただそばにいてくれるだけでは足りないのです。ある程度の「理屈」が必要です。理屈のない慰めだけでは、頭が納得してくれず、苦しみがぐるぐると回り続けます。


自分を救えない宗教なら、信じる意味がない。そう思って、自分で考え始めました。



死んだ人は「別の場所で待っている」

たどり着いた考え方の中心にあるのは、こんなイメージです。


死んだ人は、消えてしまうのではなく、別の場所で親しい人たちを待っています。そして適当なタイミングで転生します。ここまでは、いわゆる輪廻転生の考え方と似ています。でも、一つだけ大きく違う点があります。


転生は、未来だけでなく「過去」にも行ける。


複数の時間が並行して流れているような世界観の中で、親しい人とは何度も生まれ変わりながら出会い、一緒に喜びや悲しみや苦しみを積み重ねていきます。今は前世の記憶がないから辛い。でも、再会したとき、すべての出来事を語り合えると信じています。

この考え方があると、現世での別れが「永遠の別れ」ではなくなります。「またすぐに会える、一時的なお別れ」になるのです。それだけで、死の恐怖や喪失の絶望が、驚くほど和らぎます。


「じゃあ自殺してもいいのか」という問いへの答え

輪廻や転生を信じるなら、「今が苦しいなら死んでリセットすればいい」と思う人が出てくるかもしれません。これは大事な問題です。


でも、自殺は逃避にはなりません。同じ苦しみが、次の人生で別の顔をして出迎えるだけです。セーブせずにリセットするようなもの。だからこそ、今の苦しみに正面から向き合って、一つずつ解決していくことに意味があるのです。


ただし、自殺した人を一律に責めるのは違います。名誉のため、誰かを守るため、追い詰められて選ばざるを得なかった人もいます。それぞれの事情があり、それは尊重されるべきです。


障害も、理不尽な被害も、「みんなの宿題」

この考え方をもう少し広げると、現世は「自分で設定した課題を解決するために生きている場所」になります。


障害を持って生まれた人は、とてつもなく難しい課題を自ら選んだ存在です。超高難度のゲームを選んだ勇者のような人です。心から敬意を持つべきだと思っています。


では、事故や犯罪、虐待で苦しむ人は? 「自分で選んだ」と言ってしまうのは残酷に聞こえます。だからこそ、こう考えます。苦しみは「個人の罰」ではなく、「人類全体で共有している宿題」です


加害者も、被害者も、傍観者も、支えきれなかった人も、すべてが一つの問題を共有しています。次に転生する誰かが「今度は助ける側になろう」と選ぶかもしれない。苦しみは「みんなで抱えて、みんなで解決しようとしているもの」なのです。


この「みんな」とは、今生きている人だけではありません。過去の人、未来の人、遠くの国の人、歴史上の人まで含む、全人類のことです。


人類は「一つの糸」で繋がっている

人はそれぞれバラバラに生きているように見えます。でも実は、みんな見えない糸で繋がっています。


誰かの利己的な行動が連鎖して、思いもよらない場所で犯罪や悲劇を引き起こすことがあります。でも逆に、誰かが「ちょっとだけ相手のことを考える」だけで、その連鎖が断ち切られ、助けに変わる可能性が生まれます。


目的を持って生まれてきても、周囲の影響で本来の課題を果たせないまま終わることもあります。悲しいけれど、それもあり得ることです。でも、失敗しても次がある。前の人生で得た学びは残ります。


人生はリトライ無制限です。だから「失敗した人生」というものは存在しません。


大谷翔平と僕の違いは「難易度」だけ

大谷翔平のように、人間性も才能も突出した人は、何度も課題をクリアしてきた結果なのかもしれません。自分のような人間は、まだ課題の途中です。


でも、収入や人間性に差があっても、羨む必要はありません。それは単に課題の難易度や進捗度の違いにすぎないのです。お互い、今生の課題をそれぞれにやっている。それだけのことです。


地獄は「罰」ではなく「趣味」

地獄についても、少し変わった見方をしています。


地獄は神様が罰として送る場所ではありません。「悪い考え方やモラルのない生き方が心地いい」と感じた人が、自ら選んで赴く場所です。そう考えると、恐怖ではなく、「ああ、そういう趣味なのか」と、少し醒めた目で見ることができます。


今の苦しい現世も同じです。自分で選んだ道だからこそ、少し方向転換すれば転生先が変わる。自分の人生が、自分の手から離れていないという安心感が生まれます。


他の宗教を否定しない

この考え方の良いところは、他の宗教と対立しないことです。キリスト教でも仏教の各宗派でも、何を信じていても構いません。


仏教は天台宗、浄土宗、浄土真宗など宗派ごとに教えがかなり異なり、「俺はこう思う」が許容される懐の深さがあります。この考え方も、その延長線上にあるような、一つの「解釈」に過ぎません。


自分の転生観をベースに、他の宗教を包み込む形で取り入れることもできます。もちろん個々の教義と矛盾する部分はありますが、強制しない柔軟さこそが、この考え方の強みだと思っています。


批判への答え

この考え方には当然、批判もあります。いくつかの代表的なものに、正直に答えておきます。


「科学的根拠がないじゃないか」——そのとおりです。証明はできません。でも、愛や正義や生きる意味だって、科学では証明できません。それでも人はそれらを信じて生きています。苦しみが少しでも和らぐなら、それで十分ではないでしょうか。絶対の真実として押しつけるのではなく、「自分はこう思うことで楽になった」と共有するだけです。


「被害者を責めているように聞こえる」——責めているのではなく、むしろ逆です。「みんなで共有している宿題」だからこそ、被害者は一人で背負っているわけではありません。私たち全員がどこかで関わっている。だからこそ、今ここで優しくすることに意味があるのです。


「リトライ無制限だと、今の人生を適当に生きてもいいことにならないか」——逆です。次があるからこそ、今を大事にしたいと思えます。今の優しさや努力が次の生で返ってくるなら、ちゃんとやったほうが良いに決まっています。


「万人に効くわけじゃない」——そのとおりです。どの宗教も万人に効くわけではありません。この考え方は、「理屈で納得したいけれど、永遠の別れが怖い」という人に届けばいい。一人でも心が楽になれば、それだけで十分に価値があります。


最後に

この考え方を、「教え」としてではなく「一つの考え方」として、少しずつ発信していきたいと思っています。大げさな宗教ではなく、個人的な体験に基づく優しい言葉として。


動機は「自分が優れているから」ではありません。パートナーを失った深い後悔と、そこから必死に這い上がろうとした経験から来ています。


自分一人でやる必要はありません。同じ想いを持つ人が、それぞれの場所で、それぞれの言葉で発信すれば、世の中の苦しみは少しずつ減っていくはずです。


理論でわかっても、心が追いつかないときがあります。だからこそ、言葉にして伝え続けることが大事なのだと信じています。


金曜日, 4月 10, 2020

「誠実な嘘つき」こそ目指すべき


ジョン・J・ミアシャイマー『なぜリーダーはウソをつくのか』(中公文庫)に寄れば、国家のリーダーは7種類のウソをつく(pp.45)。

  1. 国家間のウソ…他国よりも戦略的に有利な立場を獲得したり、他国が自分たちの分まで有利になるのを阻止する
  2. 恐怖の煽動…自国民が全く認識していないか、あるいは十分に理解していないと思われる、対外政策面での脅威を認めさせる
  3. 戦略的隠蔽…失敗したり議論を巻き起こしたりする政策を自国民や他国から隠す
  4. ナショナリスト的神話作り…自国民に対して、「我々が常に正しくて、彼らが常に悪い」という物語を教える
  5. リベラル的ウソ…リベラル的な規範と矛盾するような国家の行動を隠すために使われる
  6. 社会帝国主義…自国の経済的または政治的利益や、特定の社会階層や利益団体のために、他国の事柄について嘘をつく
  7. 無能の隠蔽…自分たちのせいで失敗したり実現できなかった政策について、自己の利益を求めて嘘をつく

さて、わかりやすいところで言えば、韓国で何か日本起源のものを指して「これは朝鮮半島起源であり、日本に輸入されたものである」と言うのは、上に挙げた「4.ナショナリスト的神話作り」に当たる。また、ブッシュ米大統領がイラクに大量兵器があると発表したのは「2.恐怖の煽動」であり、2019年末以降、日本政府が国内の景気低迷を「緩やかに回復」としたのは「3.戦略的隠蔽」であろう。もしかしたら、景気対策が失敗したことを自覚していて「7.無能の隠蔽」を図ったのかもしれないが。

注意しなければならないのは、これらの嘘は決して国家のリーダーの専売特許ではないことだ。安倍政権を口汚く罵る人々にも、ほぼ共通して見られる、ある種のテクニックなのである。流石に全てが当てはまるわけではないが、自分が過去に褒めていた人が迷走し始めたので関連動画を非公開にする「7.無能の隠蔽」や、自分がお金をもらっている団体のことを持ち上げる「6.社会帝国主義」は日常的に見られる。YouTubeで偉そうなことを言っている人の動画を10分も見れば、だいたい上の項目のうちのいくつかが含まれていることに気づくはずだ。「嘘」と断ずる根拠がないので、そういった動画を挙げて例示するのは難しいのだが。

ワシがこの部分に引っかかったのには、さらに理由がある。これら嘘をつくことが国家のリーダーとか有名なYouTube=煽動家にのみ許された行為であるなら、単純に「世の中のことをよく理解できるようになった。むふふ」と言っていれば済む話なのだが、これに似たことはビジネスの現場にも当てはまる。しかも、それは大企業だけに止まらず、個人事業主やアルバイトのレベルまで関係がある。

出版物で言えば、「この知識がないと、現代を生き残れない!」などという煽り文句は常套句である。実際には、その本を読まずに現代を生き残ることが可能であったとしても(だいたいの場合、本の知識は生き残るのに必要ない)、このようなアオリを書くことに罪悪感を持つ編集者はいないだろう。つまり、その煽り文句は嘘である。上で言うところの「2.恐怖の煽動」であり、「3.戦略的隠蔽」に当たる。

そこで気になるのは、「嘘をつくのは良くない」という道徳的・宗教的教えである。たまたま、今日見た動画の中にこういうものがあった。



大愚和尚のYouTube動画だが、このように説法を行う大愚和尚ご自身が「誠実」なのかは、よくわからない。おそらくは「誠実」ではないだろう。ワシの尺度によれば、だが。ワシの尺度によれば、もう自分の生活のために儲けなくても食べていける状態というのは、大変な「不誠実」から成り立っている。また、宗教家が自分を飾り立てるようになると、それは中身が腐敗してきたことを意味する。

もちろん、美しい映像と滑らかな語り口によって、ファンは増えるだろう。そして、助けられる人も増えていくだろう。しかし、それは宗教家としての「誠実」とは関係がない。ローマ教会の歴史と残されている建造物・美術品を見よ。

一方で、人助けという面から見れば、「誠実」であることは必須ではなく、むしろ人助けの能力が高い方が重要である。人助けという面から見れば、宗教家として誠実で人助けに興味のない人よりは、説法がうまく、ファンを集められる人の方が価値が高い。それはそれでいい。しかし、それは「誠実」とは関係のないことだ。

僧侶でさえ、自分の顔(=自分がどうであるか)を鏡ではっきりと見る(=自分で知る)のは難しい。自分が「誠実」でないことに気づかず、他人に「誠実であれ」と説教してしまう。誠実さも賢さも、大愚和尚に全然劣っているワシのような人間ならなおさらだ。よくよく注意した方がいい。

閑話休題。大愚和尚が嘘をついていないまでも「誠実」ではないことを目の当たりにするにつけ、ワシら凡人は「誠実な人間であろう」とするよりも「自覚的に嘘をつく」ことを目指した方がいいのかもしれない、と感じている。もちろん、何にでも嘘をつくのは精神的な障碍であり、とても勧められるものではない。しかし、変に「誠実」であることによって、自分や自分の近しい人を危険に晒したり、あるいは本来伝えるべき知識が伝わらないとしたら、それは目的から外れる。

出版物で言えば、例えばExcelの使い方を事務職の人が覚えることには何の問題もなく、知識があることが知識がないことよりもほぼ無条件で優れている。であるなら、ごく単純な話、「Excelが使えないと、現代では生きていけない」とか「この機能を使いこなしてこそ、一人前のビジネスパーソンである」などと言ってしまうことは、「2.恐怖の煽動」や「1.国家間のウソ」「4.ナショナリスト的神話作り」に繋がるが、それはもはや必要なウソである。

似たようなことは、日々のビジネスシーンでよく生じる。思い返すに、本当のことを言った「誠実」な行為から不都合な結果が生まれたことは枚挙にいとまがない。「嘘をつくのは良くない」「本当のことを言うのが望ましい」という固定観念は、真面目な人間こそ、捨てた方がいいような気がする。

あるいは、目指すべきは「誠実な嘘つき」なのかもしれない。「誠実な嘘つき」になるためには、どのように嘘をつくと自分や他人のためになるのかを考える必要がある。最近、人生でもっとも重要なのは「戦略」であるという思いを強くしているのだが、「誠実な嘘つき」であるためには「戦略」が必要になってくる。何も考えずに、ぼーっと本当のことだけを言っている人間には「戦略」は無縁である。そういう生き方も認められるべきだが、この世に生きている限り、なかなかうまくいかないものだ。


水曜日, 11月 07, 2018

あるYouTuberの変遷(成長)

最近、よく見ているのが「大愚和尚の一問一答」だ。福厳寺というお寺の住職でありながら、いくつもの事業を興しているそうだ。数年前からナーランダ出版という出版社と協力してYouTubeに動画をアップしているようだが、これが2014年の動画。

冒頭でスタッフらしき女性とのやり取りが短く入っており、話にエンジンがかかるまで1分くらいかかっている。途中でスタッフがくしゃみをしている音も入っている。一応、ピンマイクは使っているようだが。視線はカメラには向かず、聞き手役のスタッフをずっと見ている。なによりホワイトノイズのレベルが高く、かなり耳障りだ。ライティングにあまり気を遣っていないのか、画面も暗い。

次は2018年の動画。HD画質で音声もクリアだ。しかも、最初から最後まで立て板に水のように話しているので、音声だけ取り出して聞くのにも適している。

全体的には、坊主が法話をしているように聞こえる部分もあるし、単に若い経営者が「こうすればビジネスで成功する!」と話しているように聞こえる部分もある。もちろん、ベースは仏教なので、ふつうのビジネス書とはちょっと違うが…。

AI時代の本の読み方