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火曜日, 5月 23, 2017

留学必須の場所で留学したくないなら、そこを去れ

ナウル、世界一の贅沢に溺れた国の結末:日経ビジネスオンライン

日本人が「先人の築きあげた富」に依存してしまえば、我が国もナウルのあとを追うことになるでしょう。

「先人の築き上げた富」なんて、ワシには関係ねーよ…と思っていたのだが、いやいや待てよ。大昔、留学が必須の場所で研究のまねごとしていたにもかかわらず、毛筋ほども留学について前向きに考えたことがなかったのは、「国内でうじゃうじゃやってれば、何とか生きていけるだろ」と、回転の悪い頭でぼんやり考えていたからである。この危機感のなさが、もしかしたら「先人の築き上げた富」にあぐらをかいている証左なのかもしれぬ。

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May 23, 2017 at 03:09PM

木曜日, 4月 20, 2017

WW2前と現在の類似点

> 戦いの終った後の混乱が日本に及ぼす経済的・外交的・政治的・社会的影響の方が筆者はずっと心配です。

禿同。

開戦前、国家は密かに“予行演習”を実施する:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/122700036/041800010/


April 20, 2017 at 06:13PM

月曜日, 1月 02, 2017

地下百尺の捨て石

> 子供も、唯堂々と育て上げてくれ。所謂偉くすることもいらぬ。金持ちにする必要もない。日本の運命を負って地下百尺の捨石となる男子を育て上げよ、小生も立派に死んでくる。

男子は捨て石。

菊水隊
イ36・37・47潜出撃記念. 短刀伝達式(S.19.11.7.大津島). イ36潜・搭乗員. 回天搭乗員・左より今西少尉、豊住中尉、吉本中尉、工藤少尉. 艦上の長官訓示. 今西太一少尉の遺影・遺墨. 十一月二十日ウルシー環礁(北泊地)を攻撃。 今西太一少尉(慶大・経済)、発進戦死。吉本中尉、豊住中尉、工藤 ...
(追記)
この佐藤章少尉(九大・法)の遺書に書かれていたらしい。また、佐藤秀峰は回天を題材にしたマンガを書いている。

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日曜日, 11月 16, 2008

知力も総量は同じ

社会全体で見たとき、たとえば日本人はここ10年とか100年とか1000年とかのスパンで前よりも愚かになったり、あるいは賢くなったりはしていないと、前々から思っている。もちろん、戦争をやっていた時期は文化が低迷し、後から見れば暗黒時代になるのは仕方ないにしても、ちょっと社会が落ち着けば、それなりの状態になっていく。

他に同じようなことを言う人をあまり見かけなかったのだが、どうやらそれは私の不見識だったようだ。内田せんせのブログから。
「世代の知性の総量というのは変わらない。それが向かう先が変わるだけである」(@村上春樹)という考えに私も同意する。
今の子どもが20年前の子どもと比べて学力が劣るとしたら、それは別のところに力を振り向けているからである。パソコンやケータイといった情報機器を使いこなす力は、それらがなかった20年前と比べたら格段にアップしている。社会は単純化するところと、複雑化するところと、両面があって奇妙な形でバランスが取れているはず。そう考えることで、「これからの日本はどんどんダメになる」などの非生産的悲観論ではなく、「これからの日本はどこに注力すべきか」といった生産的議論が可能になる。

さて、内田せんせが書いているように、学力低下の真の原因はここにある。
子どもたちの学力が低下した理由は「この世でたいせつなものは『学力そのもの』ではなく、『学力をもつことでもたらされる利益』である」という考え方が支配的になったからである。学力なんかあってもなくてもどうでもよろしい。学力があることによって得られるとされている利益(競争における相対優位、威信、権力、財貨、情報、などなど)が得られるなら「何をしてもよい」というのが私たちの時代の風儀である。
「うまくやること」のみがもてはやされる現代である。誰かのミスにつけ込んで数時間で数百億円を稼げば、それが見習うべきものとして評価される現代である。自分が寝ている間にも小銭を稼いでくれるアフィリエイトのようなシステムを手に入れた人を、多くの人が羨望と尊敬の目で見るような現代である。学力とか教養とか、もたらされる利益がはっきりせず、しかも尺度さえはっきりしないものを求める子どもが少なくなったからといって、何も変ではない。

ただ、こういう現状に対して、私自身は悲観していない。「日本がどんどんダメになっていきつつある」などというディスクールはダメな評論の最たるものだ。これまでも、日本のどこかがダメで、どこかがよかった。これからも、どこかがダメで、どこかがよい社会であり続けるだろう。きっと、マクロ的に良い悪いを論じることは無意味で、悪い何かを少し良くすること、今の「悪」を減らすこと(新たな「悪」が出てくるにせよ)が重要なのだろう。そして、一番重要なのが、どのように良いことと悪いことが移り変わってきたのか、それを知っておき、それに従って現状を分析できることではないか。これがつまり歴史である。昔は、歴史の価値をまったく認めることができなかった愚かな私だが、「歴史が重要である」という結論に帰着せずに、このあたりの議論を深めることはできない。

水曜日, 8月 20, 2008

両大戦間のウィーン

池田先生の記事を読んで思い出したのだが、両大戦間、すなわち第一次大戦と第二次大戦の間、ウィーンではごく短い時期にいろいろな文化が成長したと聞いている。昨年、50歳を前に急逝した先輩の主な研究分野であり、私もいろいろと話を聞く機会があったが、文学、絵画、哲学、音楽など、さまざまな分野で今日に通じる「種」がまかれ、そして育った時期だったようだ。

ちなみに、池田先生は第一次大戦と第二次大戦の間の時期のことを「戦間期」と書いているが、ドイツ文学界隈では「両大戦間」という言い方がよく使われるようだ。

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