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水曜日, 2月 05, 2020

専門分野以外について語るときは慎重にすべし



そこらのオッサンもちゃんとした学者も同じなのだが、自分の詳しい=仕事として従事したことのあるジャンル以外について発言するときには、十分慎重になるべきだ。専門分野についても、人はしばしば判断を誤る。況んや、専門分野以外においておや。少し統計を調べたり、論文を読んだり、訳書を読んだくらいで、さも知ったように大声で語るのは、社会にとって害悪でしかないことが多い。

言っても問題のない範囲では、武田邦彦教授は環境問題や原発の問題については意見に耳を傾ける価値があるが、宗教や社会の問題について話し出すと、独特のことを言い始めて、ほぼエッセイでしかない。随筆・随想の類である。エッセイを書いたり話したりするのはいい。「これは随筆・随想である」という注釈を書いてあれば許せる。文芸誌で小説家が社会問題を扱った文章を掲載しても、それは社会学とか教育学の問題だとは通常は認識されない。一方で、Twitterでニュースを引用して「こいつはこんなことも理解していない」とか、統計を適当に調べて「こいつの主張はトンデモだ」とかツイートすれば、それはエッセイではなく、自分ではサイエンスや学問を語っているつもりの人が多そうだ。

昔、海外文学でかなり高名な先生について、亡くなった師匠が言っていた話だが、「あの先生は文学についてはいいんだけど、言語学については独特のことを言う」と、やんわり非難していた。「独特のこと」というのは、その学問の流れを理解せずに独自の知見で語ることという意味合いだ。もちろん、学問の流れにとらわれすぎるのはよくないが、流れを知らずに何かを話すのはほとんどの場合、恥ずかしいことだとワシは教わった。

非常に近いジャンルでもこのような問題にあたるのであるから、物理学者が宗教について語るなら、かなりの勉強と覚悟が必要になる。この勉強というのは、単に本を読んだり書いたりするだけでなく、論文を書ける程度に学ぶということである。

ワシも生涯にわたって研究に値するテーマを2つほど持っているが、ちゃんと書けば博士論文になるだろうと思っている。時間も能力も体力もないし(特に能力)、そもそも論文を書くのが向いてないから大学を飛び出したので、本当に書けるとは思っていないが、何か偉そうに語るならそのくらいの勉強は必要だろう。ただし、単なるエッセイなら、これは書ける。まあエッセイといっても勉強しなくちゃいかんが、偉そうに適当なツイートをしてる人よりはたくさん勉強しないと、1行も書けないのだが。

そして、そんなことより重要なのが、仕事で毎日扱っているジャンルとか、一生懸命勉強したことのあるジャンルとかにかすりもしない件については、とても人様を偉そうに非難する気にはなれないことだ。きっと、このような考え方のほうがずっとマイノリティなんだろうが…。

土曜日, 11月 07, 2009

twitterが気持ち悪い

仕事とプライベートの両方で必要になったので、twitterに登録してみた。以前、登録だけしたことがあったはずだが、アカウント情報をなくしてしまった。今回は使うつもりなので、まずはユーザ名で悩む。小一時間、ああでもないこうでもないと悩んだあげく、プライベートで使っているハンドル名に近いものにした。

登録作業中にGmailのアカウントを入力する場面があり、とりあえず入力してみた。すると、コンタクト情報に登録されているメールアドレスを使って、知り合いがtwitterをやっていないか、自動的に検索してくれる。ヒットすれば、そのままフォローすることも可能だ。

そこで知り合いのアカウントを大量に発見したので、見るともなく見てみたところ、なんだかとても居心地の悪いものを感じたのだ。特に知り合い同士で頻繁にコメントをやりとりしているのを見ていたら、どうにも気持ち悪い。見てはいけないものを見ているような気もする。

これは何だろうと考えていたら、ふと思い当たった。電車の中で化粧する女性と同じなのだ。私自身は、電車の中で化粧している女性をじっくり見るタイプではない。正直なところ、あまり気にならないのだが、年配の方の中にはひどく気になる人もいる。おそらく、気になるタイプの人が化粧中の女性を車中で見かけたときのようなむずがゆさ、というか、腹立たしさというか、そんな感情を持ってしまった。

もう少し言えば、本来隠れているべきもの、プライベートな空間でなされることが、白昼堂々と往来でなされている、と感じてしまう。男女の抱擁やらキスやらが、駅のホームや電車の中で繰り広げられているのとも似ているかもしれない。

私の感覚の方が、今やもう少数派になるのかもしれないが、なんだかそんなことを感じたのだった。

AI時代の本の読み方