挑発的なタイトルをつけた。だが、これは煽りではなく、ここ2年ほど自分自身に問い続けていることだ。
私はデジタル関係の書籍やムック(雑誌と書籍の中間的な出版物)の編集者・ライターとして、25年以上この業界で仕事をしてきた。パソコン、インターネット、スマホ、そして生成AI——主に初心者に向けてデジタル関係の実用書を作り続けてきた。デジタル書を作っている出版社とは一通り仕事をしたと言ってもいいだろう。20年間は編集プロダクションに所属し、その後独立してフリーランスになった。
その25年のキャリアの中で、ここ2年の変化は、過去のどの変化よりも大きい。
Windows XPの登場も、インターネットの普及も、スマホの台頭も、それぞれ大きな波だった。直近ではChatGPTが巨大な波だと思えるが、実はスマホの方がずっと大きかった。ただ、それらはいずれも「扱うテーマが変わる」という変化であって、「仕事のやり方そのものが根本から変わる」という類のものではなかった。
今起きていることは違う。編集者の仕事そのものが、足元から揺さぶられている。
何が変わったのか。そして、編集者は本当に不要になるのか。現場で起きていることを、できるだけ正直に書いてみたい。
すでに変わったこと
検索をしなくなった
まず、Google検索をほとんど使わなくなった。
これは誇張ではない。何かを調べるとき、ブラウザの検索窓に打ち込む代わりに、ChatGPTやPerplexityに聞くようになった。
なぜGoogle検索から離れたのか。理由は主に二つある。
一つはSEO対策の弊害だ。検索エンジン最適化が効きすぎた結果、上位に表示されるページの情報価値が相対的に非常に下がっている。本当に知りたい情報ではなく、SEOのテクニックに長けたページばかりが上位を占める。「ゴミばかりがヒットする」という批判はずいぶん前から存在しているが、Googleは効果的な対策を打ち出せていない。
もう一つは広告表示の問題だ。Googleのビジネスモデル上、広告をクリックさせたいという意図があるのはわかる。しかし、オーガニックな検索結果と広告の区別が年々わかりづらくなっている。その結果、意図せず広告をクリックしてしまう人が少なくない数存在しており、もはや検索の邪魔にしかなっていないという状況が生まれている。これはある程度仕方のない側面もあるが、検索ツールとしての信頼を自ら損なっていることに変わりはない。
AIに聞けば、こうした問題を迂回して、複数のソースを横断した上で、こちらの質問意図に合った回答がすぐに返ってくる。正確さの検証は必要だが、それでも出発点としてはるかに効率が良い。
こう言うと「ハルシネーション(AIの事実誤認)が気になる」という反応が返ってくる。「AIだって間違うじゃないか」「見てきたような嘘をつくじゃないか」と。それは確かにその通りだ。完全に正確なことだけを求めるなら、AIは信用できない場面がもちろんある。
しかし、世の中には「8割合っていれば、残りは間違っていても構わない」という場面がいくらでもある。あるいは、9割合っていれば残りの1割はそもそもそこまで真剣に聞いていない、という話も多い。難しい話を噛み砕いて教えてほしい、最新の動向をざっくりまとめてほしい、そういうリクエストに対してAIは十分に応えてくれる。たとえばある製品の価格が少し古くて1割違っていたとしても、その製品が存在すること、それが自分の目的に役に立つことを教えてくれれば、あとは自分で情報源に当たって確認すればいい。もう一度AIに聞き直してもいいし、メーカーのサイトを直接見てもいい。
今までGoogle検索でちまちまと調べていたことが、AIによってまとまった形でポンと提示される。その効率の差は圧倒的だ。ハルシネーションがまだ残っているのは事実だが、だからといってAIを全く使わないという選択肢は、少なくとも実務においてはもうないだろう。
余談だが、Geminiは検索用途にはあまり向いていない。Googleが作ったAIなのだから検索は得意だろうと思いがちだが、実際に使ってみると、検索結果の質はChatGPTやPerplexityに劣ることが多い。これは実務でAIを使い込んでいる人の間ではわりと知られた話だ。もちろんツールの選択は個人の自由だし、Geminiにも別の得意分野はある。ただ、「検索の代替」として使うなら注意が必要だ、という程度のことは言っておきたい。
構成案や台割の作り方が変わった
デジタル関係の書籍を企画するとき、構成案や台割(ページごとの内容配分を決める設計図のようなもの)を作る工程がある。以前は、競合書籍を何冊も引っ張り出してきて、それぞれの目次や章立てを比較しながら、自分の本の骨格を考えていた。机の上に本が積み上がり、付箋だらけになる作業だ。
今はこれを、各AIのDeep Research機能にやらせている。テーマを指定して、そのテーマに関する書籍に掲載したい内容をなるべくたくさん集めさせ、さらにそれを整理して各項目ごとにまとめてもらう。つまり、書籍の目次を作るための下準備や台割の叩き台をAIに作らせるということだ。もちろん最終的な取捨選択と判断は自分でやるが、素材を集めて構造化する工程の効率は比較にならない。
最近ではClaude Coworkを使って、この一連の流れをさらに自動化している。調査から構成案のドラフト作成まで、かなりの部分をAIに任せられるようになった。
改訂版のチェックを任せるようになった
デジタル関係の書籍では、ソフトウェアのバージョンアップやサービスの仕様変更に伴い、改訂版を出すことが多い。これまでは、改訂対象の本を1ページずつ読み返しながら、変更が必要な箇所を手作業で洗い出していた。地味で時間がかかる作業だ。
あるとき試しに、Google AI StudioとChatGPTに既存原稿を読み込ませて、変更すべき箇所を指摘させてみた。完璧ではなかったが、かなりの精度で修正候補を出してくれた。自分で全ページをチェックする場合と比べて、見落としが減り、作業時間も大幅に短縮できた。これもClaude Coworkに移行していくことになるだろう。
イラストレーターに依頼しなくなった
これは同業者にとって、おそらく最もインパクトのある変化だと思う。
デジタル関係の書籍には、操作手順を補足するイラストや概念図が必要だ。以前はイラストレーターに発注していたが、今はほぼすべてAIで生成している。しかも、使用点数は以前より格段に増えた。人間のイラストレーターに依頼していた時代には、コストや納期の制約から点数を絞らざるを得なかったが、AIなら気軽に「ここにもう1点入れよう」と判断できる。
ただし、万能ではない。AIが苦手なタイプのイラストは確実に存在する。
意外かもしれないが、AIはシンプルな絵柄がどちらかというと苦手だ。情報量の多いリアルな描写は得意なのに、線を減らしたシンプルなイラストになると途端にぎこちなくなる。
もっと厄介なのは、人物の「顔だけ」「首から上だけ」のイラストだ。これは私自身がさんざん試して、いまだに使えるレベルのものを安定的に出力できていない。たとえば人物イラストから首から上だけを切り出したい場合、Photoshopでトリミングすればいい話ではあるのだが、最初から「首から上だけ」を出力させようとすると、AIはかなり苦労する。さらに、顔だけのイラストの表情を変える、顔の向きを微調整する(左を向いているものを正面に向かせるなど)といった操作は、現状ほぼ不可能に近い。
これはNano Banana 2を使った場合の話だが、他の画像生成AIでも手軽にできるとは言い難い。本腰を入れて取り組めばできるかもしれないが、実務の時間の中でさっとこなせるレベルではない。こうした場合は、今でも人間のイラストレーターに頼むか、あるいはイラスト自体を使わない判断をすることになる。
その他の細かな変化
文字数の調整もAIに任せるようになった。「この原稿を200字減らして」「もう少し膨らませて300字増やして」といった指示を出せば、文意を保ったまま調整してくれる。完璧ではないが、叩き台としては十分だ。
また、どこにイラストや図版を配置すべきかについてもAIに相談している。「この見開きの中で、視覚的に補足が必要な箇所はどこか」と聞くと、候補を挙げてくれる。これも最終判断は人間がやるが、ゼロから考えるよりはるかに速い。
AIイラストのリアルなコスト感
同業者が気になるであろう、コストの話をしておく。
結論から言えば、イラスト制作費は下がった。それは間違いない。人間のイラストレーターに依頼する場合、1点あたり数千円から場合によっては数万円かかる。AIなら、利用料はほぼ無視できる水準だ。しかも、人間には到底頼めないような量——1冊に数十点、場合によっては百点以上——を入れることも現実的になった。
しかし、見落とされがちなコストがある。時間だ。
イラストレーターに発注した場合、発注後は納品を待つだけでいい。その間、編集者は別の作業を進められる。ところがAIでイラストを生成する場合、プロンプトを考え、入力し、生成結果を確認し、意図と違えばプロンプトを修正して再生成する。この試行錯誤の繰り返しが必要になる。しかも画像生成はテキスト生成と違って待ち時間がかかる。1点につき1分から2分。10点作れば10分から20分。1回で意図通りのものが出ればそれで済むが、そうはいかないのが現実だ。
ここが人間のイラストレーターとの決定的な違いになる。人間のイラストレーターに修正を依頼した場合、ちょっとした直しなら元のイラストを描くよりはるかに短い時間で対応してもらえる。しかしAIの場合、ほんの一部分の修正であっても、最初に生成したのと同じだけの時間がかかる。本来は「この部分だけを修正してくれ」と限定して依頼できればいいし、それが可能な画像生成AIもあるにはある。しかし、たとえばNano Banana ProやNano Banana 2ではそれができない。部分修正を指示しても、実質的には最初から全体を作り直しているように見える。内部的に何をやっているかはわからないが、結果としてかかる時間は新規生成と変わらない。
だから、1点のイラストを仕上げるのに10回やり直すというのは別に珍しい話ではない。こちらの時間と根気が続く限りやり直しを繰り返す。1点に10分以上かかることも普通にある。50点なら単純計算で8時間以上だ。この時間コストは全く馬鹿にならない。
チャットベースのUIでは、基本的に1点ずつしか生成できない。これがボトルネックになる。APIを使って並列処理すれば時間は短縮できるが、それはそれで費用がかかるし、APIを叩くための技術的な知識も要る。
生成後の手直し——Photoshopで微調整するといった作業——はほとんどやらない。やれなくはないが、手直しに時間をかけるくらいなら、プロンプトを変えて再生成した方が早いことが多い。
つまり「得は得だが、状況による」というのが正直なところだ。すでにイラストレーターとの関係があって安く依頼できる人、あるいはそもそもイラスト点数が少ない案件では、無理にAIに切り替えるメリットは薄い。逆に、大量のイラストが必要で、しかも予算が限られている案件では、AIの恩恵は極めて大きい。
これから変わりそうなこと
すでに変わったことに加えて、近い将来変わりそうだと感じていることがいくつかある。ただし、ここからは実用段階に近いものと、まだ実験レベルのものが混在しているので、分けて書く。
実用段階に近いもの
ページごとの文字数調整
デジタル関係の書籍では、見開き単位、あるいはページ単位で設計することが多い。「この見開きに収まるように本文を○○字以内にまとめる」という作業が頻繁に発生する。
最近特に厳しくなっているのが、いわゆる「泣き別れ」の排除だ。テキストが左ページから右ページの冒頭へ数行だけはみ出すレイアウトのことで、これを極端に嫌う編集方針が増えている。書籍なのにそこまで制約を設けるのか、と感じることもあるが、業界全体がビジュアル重視の方向へ進んでいるのは間違いない。
背景には、「読者が頭を使わずに読める」ことを最優先にする方針がある。「頭を使わずに読む」というのが具体的に何を意味するのか、正直なところ解釈に迷う部分もあるのだが、要するに「読者はページをまたいでまで文脈を追ってくれない」という極端な前提で編集するよう求められる場面が増えている。結果として、見開きやページの中に内容を完結させる必要があり、そのための文字数調整が編集者の日常業務になっている。
この文字数調整をAIに任せる流れは、すでに始まりかけている。現状でもかなりの精度で対応できており、あとは実務のワークフローに組み込むだけの段階に近い。
構成案ベースでの原稿執筆
構成案を渡して、AIに原稿の下書きを作らせる。これも現時点でかなり使えるレベルに達している。もちろん、出力されたものをそのまま入稿することはない。必ず人間が読み、事実確認をし、文体を整え、読者にとってわかりやすい表現に直す。しかし、ゼロから書くのと、叩き台を手直しするのでは、かかる時間がまるで違う。
クロスチェック
あるAIが書いた原稿を、別のAIにチェックさせる。たとえばClaudeが書いた原稿をChatGPTに校閲させる、あるいはその逆を行う。同じAIに自分の出力をチェックさせると、同じ間違いを見落とす傾向があるが、異なるモデルを使えばその弱点を補い合える。これは校正・校閲の工程を大きく変える可能性がある。
まだ実験レベルのもの
操作動画からのキャプチャ切り出しとキャプション付与
デジタル関係の書籍制作で最も手間がかかる作業の一つが、ソフトウェアの操作手順をスクリーンショットで記録し、それぞれにキャプション(説明文)をつけることだ。操作を動画で録画しておき、そこから必要なフレームを自動的に切り出して、AIがキャプションをつける——というワークフローは、理屈の上では可能だし、ツールも存在する。しかし、どのツールが最適なのか、実用レベルの精度が出るのか、まだ十分に検証できていない。なお、操作そのものを記録する部分は、現状では人間がやる必要がある。AIはまだ「この操作手順を実際にやってみて」という指示には対応しきれない。
レイアウトラフの自動生成
本のページレイアウトの大まかなラフ案をAIに作らせるという話が出てきている。テキストとイラストの配置、見出しの位置、余白の取り方などを、AIが提案してくれるというものだ。「できる」という話は聞こえてくるが、実際にデジタル関係の書籍の実務で使えるレベルかどうかは未知数だ。この分野の書籍のレイアウトには独特のルールがある。操作手順とスクリーンショットの対応関係、注釈の入れ方、ページをまたぐときの処理など、一般的なレイアウトとは異なる制約が多い。AIがそこまで理解してラフを出せるようになるには、もう少し時間がかかるだろう。
出版社の反応と「責任」の問題
技術的にできることと、実際にやっていいことは別の話だ。
AIが生成したイラストについて、編集部がNGを出すケースがある。理由はさまざまだが、著作権の問題、品質基準、あるいは方針としてAI生成物を使わないという判断をしている編集部は実際に存在する。その場合は、素直に従うしかない。使えないものは使えない。
一方、AIが作成した原稿に対して明確なNGを出している編集部は、少なくとも私の知る範囲ではまだない。ただし「AIを使うなら、自分でちゃんと責任を持て」という条件をつけてくる出版社はある。
これは当たり前の話だ。
自分の名前で——あるいは自分が編集した本として——世に出すものについて、内容に責任を持つのは編集者として当然のことだ。「なぜこの情報を載せたのか」「なぜこういう書き方にしたのか」と出版社側や読者から問われたときに、きちんと説明できなければならない。AIが書いたから自分は知らない、という言い訳は通用しない。AIは道具であって、道具の出力に対する責任は使い手にある。
逆に言えば、この「責任を持てるかどうか」が、AIを使う上での最も重要な判断基準になる。AIの出力をそのまま載せるのではなく、自分の目で確認し、自分の頭で考え、必要なら修正した上で初めて自分の原稿になる。そこを省略した瞬間に、編集者としての存在意義を自ら放棄することになる。
では、編集者は何をする人になるのか
ここまで読んで、同業者の多くはこう思っただろう。「で、自分たちは何をすればいいんだ」と。
現時点で、AIに完全には置き換えられていないと感じるのは、大きく二つある。
一つは企画の判断だ。この本を作るかどうか、このテーマで勝負するかどうか、今このタイミングで出す意味があるかどうか。これは経営的な判断であり、市場の感覚や出版社との関係性、読者層の肌感覚が問われる。
もう一つは情報の取捨選択だ。AIは大量の選択肢を提示してくれるし、ネット上の意見を整理してまとめてくれる。しかし、その中から何を選び、何を捨てるかの判断には、まだ人間の感覚が入った方が良い結果になることが多い。読者が本当に必要としている情報は何か、何を省略しても問題ないか。その嗅覚は、長年の経験で培われるものだ。
ただ、正直に言えば、この二つの領域もいずれAIに侵食されると思っている。
企画判断は経営の問題だが、経営そのものをAIが担う時代がくるという話はすでに出てきている。情報の取捨選択についても、AIの判断力は着実に向上している。「できるかできないか」で言えば、どちらも遠くない将来にAIが対応できるようになるだろう。
しかし、「できる」と「やるべき」は別の話だ。
たとえ技術的にAIが企画判断をできるようになったとしても、あえてそこに人間の判断を入れようとする人は残るだろう。そして、その方がうまくいくケースも少なくないはずだ。人間の直感や美意識、あるいは「これは面白い」「この本は読者に届く」という感覚は、データから導き出される最適解とは異なる価値を持つことがある。
もっとも、それが本当に正しいのかは、やってみないとわからない。AIが判断した企画の方が売れる、ということが実証される時代が来るかもしれない。そうなったとき、「人間の感覚の方が大事だ」という主張がどこまで通用するかは、正直わからない。
結び
タイトルの問いに戻ろう。デジタル関係の書籍編集者は、もういらないのか。
私の答えは、こうだ。「今と同じことをする編集者」はいらなくなる。
検索して、本を積み上げて構成案を練り、イラストレーターに発注して、原稿を一字一句チェックする——そういう働き方をする編集者の仕事は、確実に減っていく。すでに減っている。
しかし、AIという強力な道具を使いこなし、その出力に責任を持ち、読者に届く本を作れる編集者は、むしろこれから必要とされる。道具が変わっても、「良い本を作る」という目的は変わらない。変わるのは、そこに至るプロセスだ。
問題は、そのプロセスの変化があまりにも速いことだ。25年のキャリアで培ったスキルの多くが、この2年で陳腐化した。これからの2年で、さらに多くのことが変わるだろう。その変化についていけるかどうかは、年齢やキャリアの長さとは関係ない。新しい道具を試し、失敗し、また試す。その繰り返しを愚直にやれるかどうかだけだ。
編集者はいらなくなるのではない。「変わらない編集者」がいらなくなるのだ。
自分がその「変わらない」側に入らない保証は、どこにもない。だから、こうして書いている。















