英国の放送局「BBC」のウェブサイトでは、記者Robin Lustigが日本の少子高齢化問題について取り上げている。「日本は65歳以上の人口の割合が世界で最も大きく、また15歳以上の割合は最も少ない。このままのスピードで行くと、今世紀末には日本の人口は現在の半分になってしまう」と説明し、「日本は文字通りゆっくりと衰退に向かっている」と記している。
筆者は理由の一つとして「日本の男性は30歳の時点で、半数以上の割合の人が未婚との調査結果がある。マンガやゲームなどに夢中となり、現実社会と向き合おうとしない男性が増え、女性が結婚したいとの希望を抱かなくなってきたことに一因があるのではないか」との考えを示している。
以下は、単なる思いつき。
長い間に渡って異分子の侵入や破壊的な出来事がなく、文化や社会制度が発達しすぎたのがその理由ではないかと思う。社会を維持するためのルールが余りにも細かくなりすぎたため、それを修得するのに多大なエネルギーが必要になり、子孫を残したり、新しいものを作り出したりすることができなくなった。
引きこもりやニートの大量出現は、日本社会という巨大なルールの集合体に恐れをなして、自分の無力感を強く感じてしまう人が増えてきたためだと考えられる。日本人は、たくさんの古い慣習を捨ててきたが、それとともにルールは透明化し、自分で「空気を読む」のに労力を割かねば、すぐに「KY」と言われてしまう(DQNが子供をたくさん作りがちなのは、彼らにとっては透明化したルールが少ないから。透明化したルールを読めないから、楽しく過ごせる。皮肉なものだ)。慣習というのは、それに従っていれば、自分で判断する必要がないので、実は非常に楽なものである。代わりに我々が従わねばならないルールは複雑で、しかも失敗に対する許容量が他の社会よりも少ない。たとえば平均台の上を全力疾走できなければ、容易に社会からは脱落してしまうかのように思える。
おそらく、「マンガやゲームといった文化が特に若い男性を現実から引き離している」という指摘は、原因と結果を取り違えたものだろう。現実が余りにも強固であるがゆえに、マンガやゲームに逃れざるを得ないのではないか。
何か方法があるとしたら、社会のルールを単純化し、価値観を多様化するしかあるまい。高度な技術を持たない人、レールから外れた人の存在を容認する。
何よりも、「長生きこそ素晴らしい」という価値観を捨てる。日本はあまりにも老人の割合が多すぎる。この状況では、70歳になっても働かなければ食べていけない社会になってしまうだろう。生物として余りにもそれは不自然だし、社会にとっても年寄りが多いのは良くない。平均寿命が男女ともマイナス15歳くらいになれば、ちょうどいいのではないか。そうすれば、介護や医療に向かう費用が減り、若者が消費するお金が増える。老人医療にかかるお金が減れば、その分だけ減税するなり、若者への投資をするなりできるだろう。
しかし、考えれば考えるほど、そういう方向には行かないだろうなあと思えて仕方ない。きっと、日本は老人に最適化された社会となっていくだろう。そして、数少ない若者が働いて納めた税金で、外国人労働者が老人の介護を請け負うようになるだろう。これを衰退と呼ぶならば、衰退は避けようがあるまい。ローマは滅びつつある。否定しても始まらない。