以下の文章は、2025年12月段階での企業へのAI導入に関する最新状況の分析である。最後に、2026年4月時点での話を追記する。
月曜日, 4月 06, 2026
月曜日, 3月 23, 2026
「楽して儲けたい」という欲望が、自らを殺す矛盾——情報と競争優位の本質を考える
はじめに
いつの時代も、人は情報を求める。
他人を出し抜きたい。他人よりも大きな成果を手にしたい。できれば最小の努力で。できれば最短の時間で。その欲望自体は、人間として極めて自然なものだろう。古代の商人が交易路の情報を独占しようとしたのも、現代のデイトレーダーが0.001秒のレイテンシを競うのも、根っこにあるのは同じ衝動である。
しかし、この「楽して情報を得て、それで大きく勝ちたい」という思考には、構造的な矛盾が埋め込まれている。
本稿は、筆者がAI(Grok)との対話を通じて掘り下げた「情報と競争優位の関係」をもとに、副業やビジネスで成果を出したいと考えるすべての人に向けて書いたものである。話題は経済学の理論から、2026年現在のAI副業市場の実態にまで及ぶ。少し長い記事になるが、最後まで読んでいただければ、「情報との付き合い方」が根本から変わるはずだ。
問い1:無料で、簡単に手に入る情報で、他人を出し抜くことはできるのか?
情報を知ることによって他人を出し抜いて、他人よりも大きな成果を得たい。しかも、なるべく少ない労力で——そう考える人は、昔から山ほどいた。今もいる。これからもいるだろう。
だが、その考え方には重大な問題がある。
どのような問題か。
その情報が無料で入手でき、知るためのハードルが低く、さらに内容が平易で誰でも取得できる場合、その情報から得られる成果は、長期的に見て必ず小さくなるのだ。
直感的には「いい情報をタダで手に入れたらラッキー」と思うかもしれない。だが、自分がタダで手に入れられるものは、他の全員もタダで手に入れられる。この一点を見落とすと、情報戦略は根本から破綻する。
答え1:それは「情報経済学」が半世紀以上前に証明した原理そのものだ
この問いに対する回答は明快である。無料で、低ハードルで、平易で、誰でも取得できる情報は、長期的に「他人を出し抜く」成果を消滅させる。 これは直感や経験則ではなく、情報経済学の基本原理そのものだ。
なぜそうなるのか——「公共財」としての情報
経済学では、財(モノやサービス)を2つの軸で分類する。「競合性」と「排除性」である。
競合性とは、ある人がその財を消費すると、他の人が消費できる量が減る性質のことだ。たとえば缶ビールは、誰かが飲んでしまえば他の人はもう飲めない。これが競合性である。
排除性とは、対価を支払わない人をその財の利用から排除できる性質のことだ。映画館はチケットを買わなければ入れない。これが排除性である。
そして情報は、この2つの性質をどちらも持たないことが多い。
誰かがある情報を知ったからといって、他の人がその情報を知る機会が減るわけではない(非競合性)。そして、一度インターネットに公開された情報は、対価を払わない人を排除することが極めて難しい(非排除性)。
非競合性かつ非排除性を持つ財を、経済学では「純粋公共財」と呼ぶ。国防や外交がその典型例とされるが、無料で公開された情報もまた、実質的にこの性質を持つ。
公共財の最大の特徴は何か。フリーライダー(ただ乗り)が発生することだ。誰もがコストを負担せずに利用でき、誰かが利用しても他の誰かの利用が妨げられない。結果として——情報は一度無料で出回ると、あっという間に「みんなが知っている常識」に変わる。
常識で他人を出し抜くことはできない。当然だ。
株式市場が教えてくれること——効率的市場仮説(EMH)
この現象を最も鮮明に説明してくれるのが、金融経済学の「効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis、EMH)」である。
EMHは、シカゴ大学のユージン・ファーマ教授が1960年代に体系化した仮説で、その核心は極めてシンプルだ。「市場に存在するすべての情報は、即座に資産価格に反映される」——つまり、公開情報を使って市場平均を上回るリターンを安定して得ることは不可能である、という主張である。
ファーマはこの仮説を3つのレベルに分けた。
ウィーク型(弱度の効率性)は、過去の株価変動パターンから将来を予測することはできないとする考え方だ。チャート分析で安定して儲けることは不可能、ということになる。
セミストロング型(準強度の効率性)は、過去の価格情報に加えて、公開されたすべての情報がすでに価格に織り込まれているとする。企業の決算報告を読んでから売買しても、その情報はすでに株価に反映済みだ、ということだ。
ストロング型(強度の効率性)は、公開情報どころか、未公開のインサイダー情報すら価格に反映されているとする極端な立場である。
EMHに対しては行動ファイナンスの側から多くの批判がある。バブルの発生と崩壊を説明できない、投資家は感情や認知バイアスに左右される、といった反論だ。2013年のノーベル経済学賞は、EMH提唱者のファーマと、EMH批判者のロバート・シラーの双方に授与されたことからも分かるとおり、学術的にも決着がついた話ではない。
しかし、ここで重要なのは学術論争の決着ではない。EMHが示すメカニズムの方だ。
「公開された情報は、瞬時に価格(=評価)に織り込まれ、超過リターン(=他人を出し抜く利益)を消滅させる」
この構造は、株式市場に限った話ではない。副業市場にも、スキル市場にも、まったく同じ力学が働いている。
「最小労力で最大成果」が自らの成果を潰す
整理しよう。
「なるべく楽に、なるべく多くの成果を得たい」——この欲望が人を駆り立てて情報を求めさせる。しかし、楽に手に入る情報は、他の全員にとっても楽に手に入る。全員が同じ情報を持てば、その情報によって得られる競争優位はゼロに収束する。
つまり、「最小労力で最大成果を狙う」思考そのものが、結果的にその成果を自ら潰しているのだ。
これこそが、情報をめぐる最大の矛盾である。
日常に溢れる実例
この理屈は、抽象的な経済理論の世界だけの話ではない。我々の日常にも、実例はいくらでもある。
副業ノウハウの世界を見てみよう。5年〜10年前、「ブログで月10万円稼ぐ方法」「YouTubeで副収入を得る方法」といった情報が無料で溢れかえった。結果はどうなったか。参入者が爆発的に増え、市場は完全なレッドオーシャンと化した。同じ手法を使う人間が何万人もいれば、個々の成果は当然小さくなる。知っているだけでは、もはや何の成果も出ない。
SEO・マーケティングの世界も同じだ。Googleのアルゴリズム攻略法が無料記事として山ほど公開されるたびに、翌月にはみんなが同じ施策を実行し、効果は急速に薄れていく。攻略法が公開された瞬間から、その攻略法の賞味期限は猛スピードで縮んでいく。
ダイエットや自己啓発の世界でも構造は変わらない。YouTubeで「これだけで-10kg」「最強の朝ルーティン」が毎日のように更新される。その情報が広まれば広まるほど、同じことをやっている人が増え、差別化はできなくなる。
知るためのハードルが低いほど、情報の価値の減衰速度は速い。 これは例外なく成り立つ法則である。
「必ず」という言葉への一つの注釈
ここで一点だけ、厳密さのために補足しておく。
「無料情報では長期的に成果が必ず小さくなる」——この「必ず」は、傾向としてはほぼ100%正しい。ただし、例外が皆無というわけではない。
たとえば、同じ無料情報を基にしていても、独自の組み合わせや誰も思いつかないニッチ市場の開拓によって、一時的に大きな差が生まれることはある。また、「知っているのに実行しない人」が大多数であるという現実がある以上、実行力だけで優位に立てる瞬間は確かに存在する。
しかし、この議論の主眼は「他人を出し抜く」という相対的な競争優位にある。そして相対的な競争優位は、同じ情報を持つ人間が増えれば増えるほど、確実に消滅していく。例外は本質を揺るがさない。
むしろ深刻なのは、「実行力すら含めて無料情報でカバーしようとする」態度だ。「やり方を知れば誰でもできる」「AIが全部やってくれる」——このような期待は、長期的に人を「コモディティ人材」に変えてしまう。誰でも同じことができる。誰でも同じものを出せる。だから、誰にも頼む必要がない。あるいは、最も安い人に頼めばいい。
この構造の恐ろしさは、じわじわと効いてくる。
問い2:ならば、情報で成果を出すには何が必要なのか?——対偶から導く3つの条件
ここまでの議論を命題として整理しよう。
「無料で、ハードルが低く、平易で誰でも取得できる情報は、長期的に大きな成果をもたらさない」
この命題の対偶をとれば、情報によって成果を大きくするための条件が見えてくるはずだ。論理学でいう対偶とは、「AならばB」が真であるとき、「BでないならばAでない」もまた真である、という関係のことである。
つまり、「特定の情報を知ることで長期的に大きな成果を得たいのであれば、以下の条件が満たされなければならない」——
条件1:有料で配布されている情報を買う。 タダで手に入るものに、競争優位は宿らない。情報の取得にコストがかかること自体が、参入障壁になる。有料セミナー、有料レポート、有料コミュニティ——金を払っている時点で、無料情報だけを追いかけている人間とはスタートラインが変わる。
条件2:なかなか見つけにくい場所から情報を取ってくる。 Google検索の1ページ目に出てくる情報は、全人類がアクセスできる。競争優位にはならない。業界のインサイダーが集まるクローズドコミュニティ、海外の専門論文、特定の人脈からしか流れてこない情報——こうした「発見コスト」の高い情報こそが、差別化の源泉になる。
条件3:習得のために努力が必要な、高度な内容の情報を得る。 「誰でも分かる」は「誰でもできる」と同義だ。習得に時間と努力を要する高度な情報は、その難しさ自体が参入障壁として機能する。10時間で身につくスキルには10時間分の価値しかないが、1000時間かかるスキルには1000時間分の参入障壁がある。
そして4つ目の条件——「タイミング」
上記の3条件に加えて、もう一つ決定的に重要な要素がある。タイミングだ。
古い情報で他人を出し抜くことは極めて難しい。まだ誰も知らない段階であればこそ、その情報には「先行者利益」が宿る。しかし、一度広く知れ渡った情報をいくら持ってきても、それはすでに価格に——あるいは市場に——織り込み済みだ。
EMHのセミストロング型が教えてくれる通り、情報が公開された瞬間に価格は調整される。副業の世界で言えば、ある稼ぎ方がSNSでバズった瞬間から、その手法の有効期限は急速に短くなる。
有料で、見つけにくく、高度で、しかも新しい。 この4条件をすべて満たす情報だけが、長期的な競争優位をもたらす可能性を持つ。
問い3:副業で大儲けしたい人はたくさんいる。しかし解決策はあるのか?
ここまでの議論を踏まえて、現実的な問いに踏み込みたい。
副業で成果を出したい。できれば大きな成果を。ギャンブルや投資の話は一度脇に置いて、何らかの成果物を納品する、あるいは指示を受けて対価を得る、そういうタイプの副業を考えるとしよう。
この場合、自分が知っている情報やスキルが周知の事実になった瞬間、「他人を出し抜く」というメリットは消える。では、情報を武器にして副業で差別化するには、どのような立ち回りが可能なのか。
答え3:2026年のAI副業市場と、コモディティ化の壁を超える立ち回り
まず現実を直視する——2026年の副業市場で起きていること
2026年現在、副業市場はAIの普及によって劇的に変容している。
その変化の核心を一言で言えば、「誰でもできる作業の完全なコモディティ化」だ。
「コモディティ化」とは、製品やサービスの差別化が失われ、どこで買っても、誰に頼んでも同じものが手に入る状態を指す。かつては専門スキルが必要だったライティング、画像生成、簡単なコーディング——こうした作業は、ChatGPTやClaude、Geminiといった生成AIの普及によって、誰でもそこそこのクオリティでこなせるようになった。
「AIを使えます」というだけでは、もう仕事は取れない。2024〜2025年頃はそれだけで差別化できた時期もあった。しかし2026年、そのウィンドウは閉じつつある。AIはみんなが使える。問題は、AIを使って何を、どうやるかだ。
ここに、本稿前半で述べた情報経済学の原理がそのまま当てはまる。AIの使い方という「情報」が無料で広く出回れば、AIを使えること自体の価値は急速にゼロに近づく。まさに効率的市場仮説が予測する通りの展開である。
ではどうすればいいのか——6つの具体的な立ち回り
コモディティ化の波の中で、それでも差別化された収益を生み出すにはどうすればいいか。以下に、「有料・見つけにくい・高度・タイミング」の4条件を意識した具体的な立ち回りを挙げる。
立ち回り1:「ニッチ×二重特化」で業界特化型サービスを提供する
最強の王道にして、最も再現性の高い戦略。
無料情報では絶対に得られない「特定業界の深い知識」を武器にすることだ。たとえば、IT・テック業界に特化したAIライティング。あるいは、薬機法の知識を持つ医療系AIライター。DX支援に生成AI実装とデータガバナンスの知見を組み合わせたコンサルティング。
なぜこれが効くのか。「AIを使えます」だけの人材は供給過剰だが、「AIを使えて、かつ特定業界の専門知識がある」人材は圧倒的に不足しているからだ。この「二重特化」——AIスキル+業界知識——が、他者が容易に模倣できない参入障壁を形成する。
立ち回り2:有料情報・クローズドコミュニティを「原料」にして独自コンテンツを生産する
これは「情報消費者」から「情報生産者」への転換だ。
有料マガジンの購読、業界人脈限定のDiscordやLinkedInグループへの参加、海外の最新論文や有料レポートの購読——こうした「取得コストの高い情報」を自分で咀嚼し、組み合わせ、日本市場に翻訳・適応して販売する。
たとえば、海外の最新AIツール情報を即座に日本企業向けにカスタマイズした「月額レポート販売」。あるいは、複数の有料ソースを横断的に分析した独自の知見の発信。
重要なのは、ここで行っているのは情報の「加工」だということだ。原料(有料情報)を仕入れ、加工(咀嚼・組み合わせ・翻訳)し、製品(独自コンテンツ)として出荷する。この工程を経るからこそ、単なる情報の転売ではない、独自の価値が生まれる。
立ち回り3:AIを「道具」にして、人間しか出せない「判断力・経験」を売る
2026年の鉄則がある。AIに生成させるのは下書きまで。最終判断は人間がやる。
AIで下書きを作り、自分の実務経験で全体をチェックし、ファクトを確認し、業界特有のニュアンスを調整してから納品する。AI動画編集の上に「クリエイティブな演出判断」という人間の感性を乗せる。
この立ち回りのポイントは、AIが得意なこと(大量の情報処理、パターン認識、下書き生成)と人間が得意なこと(文脈の理解、価値判断、倫理的配慮、クライアントの意図の汲み取り)を明確に分離することだ。
AI生成率を抑え、一次情報や政府統計を引用し、業界知識に基づくファクトチェックを施す——この手間こそが差別化の最低ラインとなっている。
立ち回り4:情報を「プロダクト化」して不労所得化する
情報そのものを商品に変える。これが最も強力なパターンだ。
独自のテンプレート、チェックリスト、フレームワークを有料で販売する。特定の業界向けに「AIプロンプト集+運用マニュアル」パッケージを作って販売する。あるいは、ノーコードで1人でも作れる小さなツール(Micro SaaS)を一つ作る。
このアプローチの本質は、自分の時間を売ることをやめることだ。1時間働いて1時間分の報酬を得る「労働集約型」から、1回作ったものが繰り返し売れる「ストック型」への転換。これは副業における最大のパラダイムシフトである。
立ち回り5:「タイミング」を武器に最速実行する
古い情報は即死。これは前述の通りだ。
だからこそ、スピードそのものが武器になる。新しいAIツールがリリースされたその週に、日本企業向けの活用法を有料noteで公開する。法改正やアルゴリズム変更の直後に、その影響の専門解説を出す。
「まだ誰も知らない情報」を持っている期間は限られている。3ヶ月かもしれない。6ヶ月かもしれない。しかし、その期間だけは、情報の希少性によって独占的な優位を享受できる。先行者利益とは、結局のところ、この「時間差」から生まれるものだ。
立ち回り6:ネットワークを「有料級情報源」に変える
これは上級者向けだが、効果は絶大だ。
副業プラットフォームでの直契約を狙う。業界勉強会や有料セミナーに足を運び、人脈を構築する。「指名依頼」が来るようになれば、公開情報では絶対に入ってこない案件情報が自然と舞い込むようになる。
人脈は、最もコピーしにくい情報源だ。 Googleで検索しても出てこない。ChatGPTに聞いても答えられない。10年かけて築いた信頼関係のネットワークは、他の誰にも再現できない。
結論——「情報を得る」のは手段にすぎない
ここまでの議論を振り返ろう。
無料で、簡単に手に入り、誰でも理解できる情報では、他人を出し抜くことはできない。これは情報経済学の基本原理であり、効率的市場仮説が金融市場で実証してきたことでもある。
ならば、成果を出すには「有料・希少・高度・タイムリー」な情報が必要だ。
しかし、最終的に最も重要なのは、情報そのものではない。
得た情報を、どう独自に加工するか。どう実行するか。どう商品化するか。
情報は原料でしかない。原料を仕入れるだけで料理を出さないレストランに客は来ない。原料を自分の手で加工し、独自の味付けを施し、盛り付けを工夫し、タイミングよく提供する。ここにこそ、価値が生まれる。
「楽して情報を知るだけで勝ちたい」という欲望は、皮肉にも、その欲望自体を無力化する。みんなが同じことを考え、同じ情報を追い、同じ手法を実行すれば、誰も勝てない均衡に収束するからだ。
無料情報を追いかけるのをやめること。「有料・ニッチ・高度」の世界に一歩踏み込むこと。そして、情報を「知る」だけでなく「加工し、実行し、商品化する」こと。
その瞬間から、ゲームのルールが変わる。
他人を出し抜く競争ではなく、「自分だけの市場」を作る競争に。
コモディティの海で価格競争を繰り広げるのではなく、自分にしか提供できない価値を磨く競争に。
それが、情報過多の時代を生き抜く、たった一つの解答だと思う。
土曜日, 3月 21, 2026
内部告発と正義の追求――日本社会の現実と、人生より長い視点からの考察
「正しいこと」をした人間が、なぜ罰を受けるのか
あるXポストが目に留まった。
新卒で入った会社で、前任者のミスがずっと隠蔽されていた。それを知った上司が、「これは正しくない」と表に出した。結果、不正は正された。だが、その上司が受けたのは感謝ではなかった。処罰だった。
「責任ではないが、後悔はない」
その上司はそう言い切ったという。堂々としていた。潔かった。その姿に感銘を受けた投稿者は、自分もそうありたいと思って行動した。結果はどうだったか。報われたことなど一度もなく、むしろ損ばかりだった、と。
これは特殊な話ではない。日本の組織で「正しいこと」をした人間に何が起きるか。その問いに対する、ありふれた、しかし残酷な答えである。
英雄になるな、言い訳野郎になれ
結論から言う。
自分の責任でないものを、自分の手で正そうとするな。ダサくても言い訳しろ。英雄になろうとするな。言い訳野郎になれ。
身も蓋もない。だが、これが現実に即したサバイバル戦略である。
日本企業の文化において、「正義を貫く」という行為は、ほぼ確実に損失を伴う。昇進が止まる。異動させられる。評価が下がる。最悪の場合、職を失う。それでも正義を貫くのかと問われたとき、問題はもはや「正しいかどうか」ではなくなる。「どこまで失う覚悟があるか」になる。
ここに、決定的な分岐点がある。
現世の利益を最大化したいのか。それとも、人生より長い視点を持つのか。
溺れている子どもを見たとき、飛び込むか、通報だけで済ますか
たとえ話をしよう。
目の前の川で、知らない子どもが溺れている。泳げない自分が飛び込めば、助けられるかもしれないし、二人とも死ぬかもしれない。警察や消防に通報して、プロの到着を待つ方が合理的だ。その間に子どもが沈んでも、自分のせいではない。
飛び込むか。通報だけで済ますか。
正解はない。これは人生観の問題である。
飛び込んで死ぬ行為は、現世的な視点からすれば「全く釣り合わない」損失だ。残された家族はどうなる。自分の人生はそこで終わる。だが、人生より長い視点に立てば、人間の尊厳を守り、慈悲の遺産を残す行為として意味を持つかもしれない。
内部告発も同じである。
飛び込めば溺れるかもしれない。だが、飛び込まなければ何も変わらない。
ケースバイケースという冷徹な現実
ここで念を押しておく。
内部告発が常に正しいわけではない。ケースバイケースである。組織が不正を認める保証はない。世間が「正義」と認めてくれる保証もない。マスコミが味方してくれる保証など、なおさらない。
だから、内部告発は「現世的な報酬を一切期待せずに行うもの」だと腹を括る必要がある。
報われるかもしれない。報われないかもしれない。いや、報われない可能性の方がずっと高い。その覚悟なしに飛び込むのは、勇気ではなく無謀である。
雪印牛肉偽装事件――告発者が辿った壮絶な顛末
理屈だけでは伝わらない。実際の事例を見よう。
2001年秋、日本をBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)問題が揺るがしていた。農林水産省は全頭検査前の国産牛肉を国が買い上げて焼却処分する事業を開始する。この制度を悪用したのが、雪印食品だった。
兵庫県伊丹市の関西ミートセンターの職員が、オーストラリア産の安価な牛肉を国産牛のパッケージに詰め替え、農林水産省に対して約2億円の補助金を不正請求した。その偽装工作の現場のひとつとなったのが、兵庫県西宮市の冷蔵倉庫会社・西宮冷蔵だった。
西宮冷蔵の社長・水谷洋一氏は偽装を目撃し、雪印食品側に「ミスで輸入肉が混じっていたことにして修正申請しろ」と諭した。だが雪印食品は応じなかった。事実を握り潰そうとした。
水谷氏は意を決した。2002年1月、毎日新聞などに実名で告発。翌日の朝刊一面でスクープとなり、雪印食品は社会的信用を完全に失墜。わずか3カ月後に解散に追い込まれた。関係者は詐欺罪で逮捕。雪印グループ全体が解体的な事業再編を余儀なくされた。
正義は勝った。
では、告発した水谷氏はどうなったか。
人生が暗転した。
告発後、雪印食品以外の荷主からも「申し訳ないけど、もう預けられない」と次々に契約を打ち切られた。理由は告げられない。ただ、荷物が消えていく。売上の9割が消失した。
さらに国から「偽装伝票を作るなど不正に加担した」として、7日間の営業停止命令を受ける。告発者が、国から罰を受けた。
「不正を告発したんだから、てっきり国から感謝されるもんだと思ってたんです」
水谷氏はそう振り返っている。資金繰りに窮し、告発からわずか10カ月後に休業。従業員を全員解雇。自社と自宅の電気まで止められた。負債は13億円に膨れ上がった。
さらに私生活にも悲劇が襲う。当時17歳だった次女が自宅マンションの14階から飛び降りた。命は助かったが、脇から下が動かなくなり、今も車椅子生活を続けている。一家の生活が困窮する中で進学を諦め、不良仲間とつるむようになり、精神安定剤を大量に服用していたという。
水谷氏は大阪・梅田の陸橋に立ち、路上でカンパを募った。2004年、1年以上かけて集めた資金で営業を再開する。しかし2014年、今度は別の大口取引先から未通関の中国野菜の出荷を要請され、これを拒否したところ取引を停止された。再び休業。
2020年、息子の水谷甲太郎氏が「株式会社Just.ice」を設立して再建を目指す。社名には「Justice(正義)」と「Ice(氷)」が込められている。
「ここで諦めてしまえば、本当にこれからも正しいことを発言する人がその勇気をなくしてしまうかもしれないから」
息子はそう語っている。
これが、日本で内部告発をした人間のリアルである。正義は勝った。しかし、告発者の人生は壊れた。20年以上が経っても、まだ立ち直りの途上にある。
日本保守党をめぐる批判と訴訟の嵐
もうひとつ、現在進行形の事例がある。
イスラム思想研究者の飯山陽氏は、2024年4月の衆院東京15区補選に日本保守党の第1号候補者として立候補した。しかし選挙後、百田尚樹代表や有本香事務総長との確執が表面化。2024年10月から、飯山氏はYouTubeなどを通じて日本保守党の運営問題や疑惑を次々と告発し始めた。ゴーストライター疑惑、LGBT問題への取り組み不足、党運営の不透明さなどである。
これに対し、日本保守党側は飯山氏を名誉毀損で提訴。百田氏個人からの訴訟も含め、複数の訴訟が並行して進み、賠償請求額は合計1,000万円以上に達した。飯山氏はSNS上で「最低の女」「頭のおかしな女」「怨念系YouTuber」と呼ばれ、支持者による大量の誹謗中傷、殺害予告、住所の晒しまでが横行しているという。所属していた大学には嫌がらせ電話が長期間続き、大学を辞めざるを得なくなった。
ジャーナリストの長谷川幸洋氏や教育研究者の藤岡信勝氏は「日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会」を設立して飯山氏を支援。2025年4月には記者会見を開き、保守党側の訴訟乱発をスラップ訴訟(批判者を萎縮させるための恫喝的訴訟)として糾弾した。
政党という公的存在に対する批判は、民主主義の根幹をなす行為である。国民の税金が投入されている国政政党であれば、批判は受けて当然だ。だが現実には、批判した側に訴訟が降りかかり、誹謗中傷の嵐にさらされ、生活基盤が脅かされる。
これもまた、声を上げた人間が被るコストの具体例である。雪印の水谷氏とは構図が異なるが、「正義の追求が現世的な損失を伴う」という点で共通している。
保護制度を信じるな――2026年12月施行の改正法の実力
「でも、今は法律が守ってくれるでしょう?」
そう思う人がいるかもしれない。甘い。非常に甘い。
2025年6月、公益通報者保護法の改正法が成立し、2026年12月1日に施行される。改正のポイントは大きく4つある。
第一に、刑事罰の新設。公益通報を理由として解雇または懲戒処分を行った行為者には、6カ月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金。法人には最大3,000万円の罰金が科される。これまで民事上の違法・無効にとどまっていた不利益取扱いに、初めて刑罰という牙が備わった。
第二に、立証責任の転換。通報後1年以内に行われた解雇・懲戒については、「公益通報を理由としてなされたもの」と推定される。つまり、会社側が「通報とは無関係だ」と証明しなければならなくなった。通報者の側の立証負担は大幅に軽減される。
第三に、保護対象の拡大。これまで正社員や派遣社員に限られていた保護範囲に、フリーランス(特定受託業務従事者)が新たに加わった。退職者の保護期間制限(1年以内)も撤廃された。
第四に、通報妨害行為の禁止。「通報するな」という合意の強制や、「通報したら異動させる」といった威圧行為が明文で禁止された。通報者を特定するための情報収集(いわゆる「犯人探し」)も禁止対象となった。
紙の上では進歩している。だが、実効性はどうか。
問題は「別の理由」である。
会社は「公益通報を理由として」解雇しない。成績不良を理由にする。配置転換を理由にする。組織改編を理由にする。あるいは理由すら明示しないまま、じわじわと居場所を奪っていく。日本企業が数十年にわたって磨き上げてきた「合法的な報復」の技術は精緻を極めている。
改正法は解雇と懲戒に刑事罰を設けたが、それ以外の不利益取扱い――嫌がらせ、無視、左遷、評価の引き下げ――は刑事罰の対象外である。この隙間を、組織は確実に突いてくる。
だから繰り返す。「法律があるから安全に告発できる」と思うのは、浅はかである。
日米の断絶――なぜアメリカでは告発者が殺到するのか
視点を海外に移そう。
アメリカにはFalse Claims Act(不正請求防止法、FCA)と呼ばれる強力な法律がある。南北戦争時代に制定され、1986年に大幅強化された。その中核が「Qui Tam制度」だ。
Qui Tamとは、政府に代わって民間人が不正を告発し、訴訟を提起できる仕組みである。告発が成功すれば、回収された金額の15〜30%が報奨金として告発者に支払われる。
2025会計年度(2024年10月〜2025年9月)の実績は驚異的だった。FCAによる和解・判決の総額は史上最高の68億ドル超(約1兆円)。そのうちQui Tam訴訟経由の回収が53億ドル以上。告発者が自ら提起した訴訟の件数は1,297件で、これも史上最多を記録した。1986年以降の累計回収額は850億ドル(約13兆円)を超えている。
この数字が意味するのは明白だ。アメリカでは、内部告発は「割に合うビジネス」なのである。リスクは当然ある。だが、成功すれば億単位のリターンがある。弁護士も積極的に手弁当で引き受ける。告発者は英雄として扱われることも少なくない。
翻って日本はどうか。
報奨金制度はない。告発しても得るものはない。失うものだけがある。法律は名目上の保護を謳うが、実効性は疑わしい。告発した結果、取引先が逃げ、職場で孤立し、家族が壊れる。それが日本の内部告発のリアルだ。
この構造的な非対称が、日本で内部告発が起きにくい最大の理由である。アメリカは「告発させる仕組み」を作った。日本は「告発させない空気」を維持している。
「お天道様が見ている」――見ているだけで、裁かない
文化的な背景にも触れなければならない。
日本は多神教の国である。八百万の神が万物に宿るという感覚は、「お天道様が見ている」という道徳観として日常に根づいている。悪いことをすればお天道様が見ている。だから悪いことはするな。
だが、お天道様は「見ている」だけである。積極的に裁きを下すわけではない。罰を与えるわけではない。不正を暴く力を授けてくれるわけでもない。
一方、欧米のキリスト教文化圏では、唯一絶対の神が善悪を裁く。内部告発は「神の正義」を体現する行為として、宗教的な正統性を持ちうる。告発者は「神の道具」として行動しているのだから、現世で報われなくても天国で報われる。そういう確信が、行動を支える。
日本にはそのような確信がない。代わりにあるのは、特攻精神の残滓である。
雪印事件の水谷氏も、保守党を批判する飯山氏も、現世の見返りを期待して行動しているわけではないだろう。「これは間違っている」「黙っていられない」という衝動に突き動かされている。それは、華々しく散ることを厭わない「日本男児の美学」に通じるものがある。
だが、これは現代の合理主義とは明確に衝突する。特攻で散るのは美しいかもしれない。しかし、散った後に残された人はどうなるのか。水谷氏の娘は14階から飛び降りた。飯山氏は大学を追われた。特攻精神は、本人の覚悟だけでは完結しない。巻き込まれる人がいる。
しかも現代日本、とりわけ組織の上層部では、特攻精神などとうに失われている。自己利益と保身が最優先。不正を見て見ぬふりをする方が「賢い」とされる。声を上げる人間は「空気が読めない」と排除される。
ここに、日本の内部告発をめぐる最大のねじれがある。告発者には特攻精神を求めながら、組織は保身に走る。犠牲を払う側と、利益を得る側が、完全に分離している。
内部告発の現実的な戦略――自爆を回避するために
それでも声を上げるのか。
もしその覚悟があるなら、少なくとも戦略は持つべきだ。闇雲な特攻は、ただの自殺行為である。以下に、現世利益を諦めた上での「合理的な自爆回避策」を整理する。
第一に、逃げる準備が最優先。不正を知ってしまった部署に近い場合、まず転職活動を始めること。責任を負わされる前に、物理的に離脱する。これが最も現実的な自衛策である。巻き込まれてからでは遅い。
第二に、転職できない場合は記録を残す。「なるようになれ」と腹を括った上で、詳細な記録を保存する。メール、メモ、データ、日時、関係者の名前。証拠は自分を守る最後の盾になる。ただし、社内のサーバーだけに保存しても意味がない。個人の端末やクラウドにバックアップを取ること。
第三に、間接的な情報発信。これは高度な戦術だが、匿名でぼかした情報をインターネットにリークし、小規模な炎上を起こすという方法がある。「このままでは危ない」という空気を社内外に醸成し、上層部に方針転換を促す。自分が関与したとバレないよう、徹底的に痕跡を消す必要がある。
第四に、長い時間軸で考える。極端なケースでは、現役を退き、年金生活に入ってから実名で全容を公開するという選択もありうる。失うものが少なくなってからの告発は、リスクが格段に低い。
第五に、低リスクの代替行動。食品偽装のようなケースであれば、「この商品は買わない方がいい」と周囲にそれとなく伝える程度の行動でも、ゼロよりは意味がある。理由は偽っていい。「なんか味が変だった」「友達が体調崩した」。英雄的な告発でなくても、小さな抵抗が積み重なれば流れは変わりうる。
死んだら終わりなのか――来世視点という補助線
ここまで読んで、絶望的な気分になった人もいるかもしれない。
正義を貫けば罰を受ける。保護制度は信用できない。告発者の人生は壊れる。では、不正を見ても黙っているしかないのか。黙って保身に走るしかないのか。それが「賢い生き方」なのか。
ここで、ひとつの補助線を引きたい。
死んだら終わりなのか、という問いである。
国際社会調査プログラム(ISSP)の2008年調査によれば、日本人の約42.6%が「輪廻転生はあると思う」と回答している。33カ国中7位。台湾の59.8%には及ばないが、アメリカの31.3%、イギリスの21.6%を上回る。日本人のおよそ4割が、なんらかの形で「生まれ変わり」を信じているのである。
これは科学的な主張ではない。証明もできないし、反証もできない。だが、「人生観のフレームワーク」としては、極めて強力な機能を果たす。
現世だけが全てだと思えば、損得計算は冷徹になる。告発して失うものが大きければ、黙っている方が合理的だ。だが、「今回の人生は一回きりではない」と考えれば、計算式が変わる。
今回の人生で正義を貫いて損をしても、その経験は次の人生に活きるかもしれない。今回は転職できなかったが、次に生まれたときは早めに逃げる判断ができるかもしれない。今回は告発して散ったが、次は「立ち回り」を学んだ上で、より効果的に戦えるかもしれない。
これは自己欺瞞だと言う人もいるだろう。だが、「仕事しかしていない自分の人生に意味はあるのか」という問いに対して、「来世で活かせる学びを積んでいる」と思えることの精神的な効用は、軽視すべきではない。
水谷洋一氏が20年以上にわたって戦い続けられるのは、単なる意地だけではないだろう。息子が「Just.ice」という名前で会社を再建しようとしているのは、正義の灯を消したくないからだ。それは、今この瞬間の損得を超えた、もっと長い視点に立っているから可能になることである。
結語――あなたはどの視点で生きるのか
正義を貫くか。保身に走るか。
この問いに、普遍的な正解はない。
現世の利益を最大化することが目的なら、答えは明白だ。黙れ。逃げろ。言い訳しろ。英雄になるな。それが最もコストパフォーマンスの良い生き方である。
だが、もし人生より長い視点を持つなら。もし、自分がこの世を去った後にも何かが残ると信じるなら。もし、「お天道様が見ている」だけでなく、「自分の魂が見ている」と感じるなら。
そのときだけ、飛び込む選択肢が生まれる。
ただし、飛び込むなら戦略を持て。記録を残せ。逃げ道を確保しろ。闇雲に散るな。特攻は美しいが、生き残って戦い続ける方が、ずっと強い。
水谷洋一氏はまだ戦っている。あれから20年以上。負債を少しずつ返しながら。車椅子の娘と一緒に、街頭に立ちながら。
「負けへんで」
その言葉の重みを、私たちは知っておくべきだ。
金曜日, 2月 27, 2026
【AI討論】データ主義をめぐる議論--ハラリとチームみらいの危うさに関するメモ
データ主義の定義とハラリの位置づけ
ユヴァル・ノア・ハラリは、2016年の『ホモ・デウス』において「データ主義」(Dataism)を、データとアルゴリズムの流れを宇宙の究極価値とする新しい宗教形態として提示した。そこでは人間の主観・感情・自由意志は信頼できないノイズとされ、アルゴリズムによる処理が真実を決定する世界観が描かれる。ハラリ自身はこれを積極的に推奨する立場ではなく、「これが到来する」と予言する観察者としての位置づけである。対立軸は明確であり、ルネサンス以来の「人間主義」(ヒューマニズム)——人間の経験や物語を価値の中心とする思想——そのものである。ルネサンスが神中心の中世を否定して人間を主役としたように、データ主義は人間中心主義を否定し、人間を「生化学的アルゴリズム」の一部に還元する。
人間主義概念の大雑把さへの批判
これに対し、議論では「人間主義」という括りが近代思想全体を大雑把に一括りにしすぎている点が指摘された。資本主義は人間の欲望を原動力とするものの、効率と利益を優先する非人間的な側面が強く、単純に人間主義の変種と呼べるかは疑問である。思想史を精査すると、ドイツ観念論からロマン主義、論理実証主義、現象学・言語哲学へと、常に直前の思想を否定しながら交代が繰り返されてきた。データ主義もこの連鎖の中に位置づけられるべきであり、「人間主義」という広範なレッテルでは思想の細かな交代劇が失われてしまう。
ネオ実証主義という代替概念の提案
ここで提案された代替概念が「ネオ実証主義」である。従来の実証主義が観測事実を重視したのに対し、ネオ実証主義は人間の解釈・意味づけを完全に排除し、データとプログラム(アルゴリズム)に判断を委ねる点が特徴である。これは「雰囲気」で済ませていた事象を、きっちり計測・データ化してAIに自動処理させる流れにほかならない。コンピュータ開発の現場ではデータとプログラムが不可分であるため、「データ主義」という呼称は曖昧であり、むしろ「アルゴリズムによる自動判断主義」と表現する方が技術的本質を捉える。
チームみらいのデジタル民主主義との関連
このネオ実証主義の実践例として、チームみらい(安野貴博党首)の「デジタル民主主義2030」プロジェクトが挙げられる。同プロジェクトはAIによるブロードリスニングで国民の声を自動抽出、政治資金のリアルタイム公開など、人間の政治的バイアスを最小化し効率化を目指す。しかしここに、1世紀前の論理実証主義が犯した根本的誤りが再現されている。
論理実証主義の誤りの再現と科学哲学からの批判
論理実証主義(ウィーン学団、カルナップ、エイヤーら)は日常言語の曖昧さを排除するため記号論理・形式言語を提唱し、哲学的問題を言語分析に還元しようとした。ところが、クワインの全体論、クーンのパラダイムシフト(1962年『科学革命の構造』)、ポパーの反証可能性などの科学哲学により、データや観測の取り方・解釈・枠組みに設計者の価値観・思想が不可避的に介入することが明らかになった。同じデータでもパラダイムが変われば意味が根本的に変わる——物理学の歴史(ニュートン力学→相対論→量子力学)がこれを証明している。したがって、「データとAIで民意を一義的に抽出できる」「人間の介入を排除すれば中立になる」という主張は、科学が「一つの永遠の真理」を持つという幻想を繰り返すに等しい。論理実証主義が「科学は累積的進歩」と楽観したのと同様、データ主義/ネオ実証主義も恣意性を排除しようとする行為自体が最大の恣意性であることを見落としている。哲学・科学史の入門的知識さえあれば、この誤りは「常識」として認識可能であり、学部生レベルで十分理解できる内容である。
結論
本議論はハラリの文学的表現を技術・哲学の観点から解体し、データ主義の本質を「ネオ実証主義のAI時代版」と位置づけた。人間主義への大雑把な批判、言語の曖昧さ問題、科学の非累積性という歴史的教訓を踏まえれば、「データが神」という神話はすでに時代遅れであることが明らかになる。実務的なデジタルツールの活用は一定のメリットを持つものの、その根底にある思想的前提は、20世紀前半の過ちを現代的に再演しているにすぎない。
追記
「ネオ実証主義」は造語。まとめ記事にする前、実際の議論では「新実証主義」という言葉を使ったが、これは別の概念として存在する。また、「ポスト実証主義」とも異なる。
なぜこんな不格好な造語を作ったか。ハラリの「データ主義」は批判対象であるにしても、言葉として不適切であると考えたから。データ主義は「データがもっとも重要なものである」とする。しかし、ここでの「データ」とはシステムやプログラムと対になる意味での「データ」ではない。そのため、「データ実証主義」という用語は不適切だと考えた。
もう一つ。見苦しい言い訳をしておくと、ハラリの概念もチームみらいの政治的主張もまだまだ不勉強である。この記事には、単なるメモ以上の価値はない。
木曜日, 2月 26, 2026
日曜日, 2月 06, 2022
【細かすぎ!】身分証明書のコピー方法の指示が酷すぎた【役所よりも役所っぽい】
先日、ある取引先がマイナンバーの収集を別の会社に委託しているということで、その委託先からマイナンバーカードのコピーを送るように指示が届いた。いつものように、プリンターで印刷しようとしたら、以下のような指示書が入っているのに気づいた。
- 2種類以上の書類を一緒にコピーしない
- コピーする際に拡大縮小はしない
- コピーの切り抜きは行わない
これを見て、ワシはカチンときた。
まず、3.はいいだろう。小さいと保存しづらいし、そもそも切り抜くのが面倒だから、「切り抜かないでいいですよ」と言われたら従いやすい。
水曜日, 2月 05, 2020
専門分野以外について語るときは慎重にすべし

そこらのオッサンもちゃんとした学者も同じなのだが、自分の詳しい=仕事として従事したことのあるジャンル以外について発言するときには、十分慎重になるべきだ。専門分野についても、人はしばしば判断を誤る。況んや、専門分野以外においておや。少し統計を調べたり、論文を読んだり、訳書を読んだくらいで、さも知ったように大声で語るのは、社会にとって害悪でしかないことが多い。
言っても問題のない範囲では、武田邦彦教授は環境問題や原発の問題については意見に耳を傾ける価値があるが、宗教や社会の問題について話し出すと、独特のことを言い始めて、ほぼエッセイでしかない。随筆・随想の類である。エッセイを書いたり話したりするのはいい。「これは随筆・随想である」という注釈を書いてあれば許せる。文芸誌で小説家が社会問題を扱った文章を掲載しても、それは社会学とか教育学の問題だとは通常は認識されない。一方で、Twitterでニュースを引用して「こいつはこんなことも理解していない」とか、統計を適当に調べて「こいつの主張はトンデモだ」とかツイートすれば、それはエッセイではなく、自分ではサイエンスや学問を語っているつもりの人が多そうだ。
昔、海外文学でかなり高名な先生について、亡くなった師匠が言っていた話だが、「あの先生は文学についてはいいんだけど、言語学については独特のことを言う」と、やんわり非難していた。「独特のこと」というのは、その学問の流れを理解せずに独自の知見で語ることという意味合いだ。もちろん、学問の流れにとらわれすぎるのはよくないが、流れを知らずに何かを話すのはほとんどの場合、恥ずかしいことだとワシは教わった。
非常に近いジャンルでもこのような問題にあたるのであるから、物理学者が宗教について語るなら、かなりの勉強と覚悟が必要になる。この勉強というのは、単に本を読んだり書いたりするだけでなく、論文を書ける程度に学ぶということである。
ワシも生涯にわたって研究に値するテーマを2つほど持っているが、ちゃんと書けば博士論文になるだろうと思っている。時間も能力も体力もないし(特に能力)、そもそも論文を書くのが向いてないから大学を飛び出したので、本当に書けるとは思っていないが、何か偉そうに語るならそのくらいの勉強は必要だろう。ただし、単なるエッセイなら、これは書ける。まあエッセイといっても勉強しなくちゃいかんが、偉そうに適当なツイートをしてる人よりはたくさん勉強しないと、1行も書けないのだが。
そして、そんなことより重要なのが、仕事で毎日扱っているジャンルとか、一生懸命勉強したことのあるジャンルとかにかすりもしない件については、とても人様を偉そうに非難する気にはなれないことだ。きっと、このような考え方のほうがずっとマイノリティなんだろうが…。
木曜日, 1月 02, 2020
Uberに頼らずにタクシー業界を改善する、ただ一つの方法
タイトルは釣り。誰も釣られないと思うけど。
冒頭で、米国の一部地域でUberでの性犯罪が多発していることに触れられている。これを何とかするには、どうしても規制が必要になってくる。Uberをそのまま日本に導入すると、Uberは延びて、タクシー業界は壊滅する。より安く、より低品質のサービスしか選択できない場面が増えて、結局はUber以外全員が回復不能な損害を被ることになる。
一方で、ホリエモンがどこかの動画で怒っていたが、タクシーの運転手が道を知らない(かつ、カーナビも満足に使えない)、あるいは通常では考えられないほど態度が悪い運転手がいるのは事実だ。いずれも自分で体験したことがある。もちろん、一部の運転手だけだろうが、タクシーというサービスの性質上、事前に選択ができないのがフラストレーションの原因となる。消費者が賢くなってもダメなのである。ここはホリエモンの言うことに一理ある。
これを解決する方法をひとつ思いついた。Uber(のシステム)をタクシー業界がやるのである。「もう配車アプリがあるじゃん」といわれるだろうが、キモは配車ではない。評価である。現在の配車アプリでは、運転手を選ぶことはできないし、ほかの客からの評価を知ることもできない。これに対して、Uberには評価機能があり、運転手の情報が乗車前に得られる。そのため、ドアが開くまで誰が運転手なのか分からない事態を避けることができる。
「カーナビが使えるか」「英語が話せるか」「接客態度はいいか」など、客とタクシー会社の両方が評価して、ドアが開く前に運転手の情報をゲットできるようにすれば、悪くない結果が得られるように思う。当然、高い評価の運転手は、サービス料金を上乗せできるように制度をいじる必要はあるだろうが、今よりはずっとマシな気がする。大手のタクシー会社が乗ってくれば、意外とすんなり行きそうな気がするのだが、どうなんだろう。
金曜日, 5月 17, 2019
年寄りと若者の命の重さは異なる
「家、ついて行って」衝撃告白SPに反響続々「涙が止まらない...」 - ライブドアニュース
5月15日に放送されたバラエティ番組「 家、ついて行ってイイですか? 予想外の結末...最後に衝撃告白SP」(テレビ東京系)について、「多くの人に見て欲しい」との声が上がっている。 ...
「午後2時30分頃かな。横断歩道渡り終えた娘が浦和駅に向かって歩いてたんですよ。老人が運転する車、娘に気付かなくて、助手席に奥さんが乗って『危ない!』って言ったらしいんですよ。それで慌てたのか知らないけど、アクセルとブレーキ踏み間違えたと」事故率は若者の方が高い、という意見もある。どちらを優先的に処罰すべきかについての庶民感情は、犠牲者が誰かによるのかもしれない。池袋の上級国民は87歳だったか、若い女性とその子供を轢き殺した。このリンク先で触れられている事件では、80代男性が高校生を押し潰して殺した。これが逆ならニュースにならなかったかもしれない。
「そのまま壁に向かってうちの娘を押し当てて、5分も6分も10分も降りて来ない。本人は。周りの人間がダーンと窓叩いて、それでも降りてこない。『何やってんだ!お前、早く降りろ!バックしろ!』。それでもアクセル踏み潰してた」
「娘が『ギャーー!』って言ってる声がマンションの3~4階まで響いてたってんだから」
若者の無謀運転に子供や若い人が犠牲になった事故がないわけでもなかろう。無謀運転は無謀運転で阻止する方法を考えないと行けないが、老人のペダル踏み間違いは原因が一つなので、対策は立てやすいのではないかなあ。
P.S.
事故率は若者のほうが高い。実数で言えば若者の事故が多い。それが事実だとしても、ワシは命の重さには偏りがあり、年寄りより若者の命のほうが大切だという立場に立ちたい。自分が年寄りになってしまっても、そう思い続けたい。
日曜日, 4月 28, 2019
「頑張ったら報われる世界」は本当に到来するか
どういう事か簡単に説明しておくと、カーナビ等で車がネットと紐付けられているから、例えばドライバーは余計な回り道をしたりして最短ルートを取らなかったりだとかの悪い事をすると一発でバレるようになっている。この事により、タクシードライバーは悪いことができなくなり、結果として中国のタクシーサービスの質は著しく向上したという。
ついにテクノロジーが「頑張ったら報われる世界」を実現させた。 | Books&Apps
https://blog.tinect.jp/?p=59441
中国のタクシー業界については、いい結果が出ているのは確かなのだろう。問題は、これが社会の隅々まで広がり、適用されるような事態が起こりうるのかどうか、つまり「頑張ったら報われる世界が実現する」のかどうかだ。
実際にはそう簡単ではないだろう。中国社会の特殊性──個人情報保護という観点が大きく欠けている──は、さておくとして、世の中には「頑張ったら報われる世界」に対して努力する人よりも、「出来るだけ努力せずに他人を出し抜きたい」と思う人の方が多く、往々にして力を持つ。でなければ、あれほどGoogleの検索結果が汚染されまくることはなかろう。ちゃんとしたコンテンツを作るよりも、ちょっとしたセコい工夫で順位を上げる方が楽だ、と多くの人は知っている。あるいは、食べログの星の数はもっと飲食店の正しい姿を反映して、ミシュランばりの信頼性を勝ち得ているはずだ。食べログを運営するカカクコムは、店舗への悪評価を削除しなくても収益を上げることができる方法を見つけ出していることだろう。
実際には、Google検索の上位が信頼に足る情報源ではないことが多く、食べログの星やレビューはごくわずかな偏ったレビュワーによって意味なく決まる単なる飾りにしか過ぎない。
全てのものがインターネットに接続され正確にデータベース化される事で、善行がキチンと評価されるようになったとしたら、私達の社会は大きく良い方に変わるだろう。
これは論理的には正しい。しかし、そういう社会は決して訪れないだろう。残念ながら、そのような性善説が通じる社会はこれまで実現したことはなかったし、これからも訪れることはない。まあ、シビュラシステム(Wikipedia)でもできれば別だろうが。
土曜日, 4月 27, 2019
「親をリストラして、子供を雇う」という無限機関は動作するのか
いまどきの企業が欲しくて仕方がない若者という「資源」は、いまどきの企業がリストラしたくて仕方がない40~50代の社員の家庭で、子どもという「原材料」からつくりあげられている。
「45歳以上はリストラしたい」+「高技能の若者が欲しい」=「子どもが増えない」 - シロクマの屑籠
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190424/1556094600
親をリストラして、子供を雇う。1つの私企業としては最適な判断だろう。それぞれの個人のもっとも「使える」時期に働かせ、「使えなく」なったら捨てる。しかし、社会全体としては、そんなに簡単ではない。リストラ対象になる45歳の社員の子供はというと、今時ならまだ大学を出ていないことが多いだろう。リストラされた社員の息子は、金銭的に十分な教育を受ける機会を奪われる。リストラする方に回れた社員の息子はいいだろうが、数としてはリストラされた社員の息子の方が、この考え方に基づくなら、多くなるのではないか。これは部分最適化が全体にとって最適ではない判断のいい例だろう。あるいは、ミクロ的には正しくても、マクロ的には誤っている判断とも言える。
もちろん、単純な年功序列など大企業であっても、もはや夢物語に過ぎない。歳をとるだけで敬われる時代はすでに終わっている。しかし、歳をとれば必ず捨てられる時代が来たと感じられるなら、大変なディストピアが実現したことになる。年寄りはいつまでも(金のない状態で)生きねばならず、若者は数十年後に必ずそうなると思えるなら、もはや希望はどこにもない。1人あたり数千万円の投資に相当する子供を産み、育てることに踏み切れないのもわかる。社会のごく一部、景気のいい業界に居場所を見つけ、そしてSNSなどで自意識を満足させつつ、大多数の幸福には目を瞑ることのできる人間のみが、この社会を望ましいものと考えられる。そんな時代がすでに到来しているのではないか。
木曜日, 4月 11, 2019
文系の大学院は墓場への道か
組合の志田昇書記長は、「非常勤講師はかつては研究者の『最底辺』の職だったが、今はそれすら難しい」という。常勤教員でも、募集の多くは任期付き。これでは人生設計が立てられない。「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。せっかく育てた人材が、どんどんドブに捨てられている」
「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた
https://digital.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html
記事を何度も読み返した。非常に辛い。
西村玲氏は、大変優秀な研究者であったとのこと。勤勉で、かつ実績があっても大学に籍を置くことができない。マクロ的な視点から見れば、大学で必要とされないジャンルの研究は「無駄」である。西村氏の研究領域は、パッと見ただけでかなり厳しいだろうと想像できる。近代思想史、しかも仏教だと、哲学より需要が少ないだろう。そういうジャンルは、どうしても削減される対象になりやすい。これをひっくり返すのは難しい。
社会としてできることは、博士課程に進学したが、大学など研究機関に職を得ることができなかった人を一般企業などに迎え入れるルートを(補助金を出してでも)整備するくらいだろうか。博士崩れは、身体障害や発達障害を持つ人よりも少ないだろうし、なんとかなって欲しい。個人的には、そう強く思う。
ミクロ的に見るなら、もう少し戦略的に動けなかったのか。本当に研究を続けたいのであれば、もうちょっとポピュラーなところ(近世日本文学とか?)で実績を作って職にありついてから、好きな分野にスライドすればよかったのかもしれない。しかし、そんなことをしていたのでは、とてもこの量の研究成果は残せなかっただろう。
また、結婚が(特に女性にとって)最後の砦であることは確かだが、40代になってから1回り年上の男性との結婚はリスクが大きい。できれば、20代に結婚を考えて欲しかった。
好きなことを見つけ、人並み以上に努力していれば、お金持ちにはなれないまでも、生きていくことはできる。両親はそう信じて生きてきた。一人娘も価値観を共有していたという。
大変残念ながら、もはや「人並み以上に努力していれば、生きていくことはできる」という時代は終わった。日本では、とにかく戦略的に動かないと、努力は必ず搾取される。そして、生きていくことができなくなる。善人は、道端で朽ちていくのだ。もちろん、それでいいという人もいていい。そういう人が生活できる世の中になって欲しいと思う。しかし、もう無理だろう。ワシは優秀な研究者ではなく、そのルートからドロップアウトしたからこそ、まだ生きているのかもしれない。
日曜日, 3月 03, 2019
「真面目」「お人好し」は悪徳
ワシが中学生や高校生の頃は、「彼は真面目だ」と言えば、それは褒め言葉であった。学生の頃はそれでもいいのだが、ビジネスマンとしての活躍を求められるようになれば、「君は真面目だ」と言われれば、それは貶されているのだと感じなければならない。
我々の中から一つの才能が表に現れてくるときには、必ず、その才能に見合った人格が表に現れてくるのです。『なぜ、優秀な人ほど成長が止まるのか』(田坂広志、ダイヤモンド社、p.174)
つまり、一つの人格だけで仕事の全場面を乗り切ろうとするのは、真面目であっても効果的ではなく、成果に結びつかないことが多いということだろう。
また、「お人好し」ももはや悪徳である。人に好かれるのはある種の立場の人には必須かもしれない。しかし、自分が損をするような選択肢も、相手に言われたらそのまま受け入れてしまうような性格は、結果として自分を苛み、周囲の人にも回り回って悪影響を与える。道理に合わない要求は正しく断るのが誰にとっても良い。
生きていくのに必要なのは、戦略である。戦術ではない。人生はある一時期だけうまくいっていても仕方ない。全体として破綻のないようにマネージする必要がある。そして、真面目な奴はそれに失敗することが多い。わかりやすいのが学歴だけがすごいが、その後の人生がパッとしない、入試に最適化したバカだ。
…というのが、ミクロ的に社会を見た時の話。マクロ的に社会を見ると、真面目やお人好しを軽んじるようになると、社会的なコストが上がる。先のことを考えずに、安価にいいものを作るという職人の文化は、陳腐化したときに社会の効率化の足を引っ張るので悪者になりがちだが、これをすべてなくすのが本当に社会のためになるのかは、よくよく考えたほうがいい。給料は高くできなくても、社会的な評価を与えておいたほうがいい仕事はたくさんある。今の日本社会に問題があるとしたら、そういう考え方を国の上層部が忘れつつあるようにしか思えないことだ。これもグローバル化の顕現なのであろうか。
日曜日, 12月 16, 2018
人手は余っている。足りないのではない

実は今、人手は全然不足していない。むしろ余っている。余っているからこそ、賃金が上がらないのだ。
人手は全然不足していない。コンビニの経営者は今、AIやロボットの値段が安くなるのを待っているだけだ。
いやいや、募集してもなかなか採用できない。数年前と比べると、応募者の質が目に見えて落ちた。だいたい応募者が減ってきている。人手が足りていないのは明白だ。そう思っていた。
だが、足りていないのは、人手ではなく「奴隷だ」と岩崎夏海氏は言う。
足りていないのは「人」ではないからだ。足りていないのは「奴隷」である。安い賃金で働いてくれる「奴隷」がいないから、多くの企業が潰れているのだ。
「この給与で、この仕事ができる人がいない(来ない)」ということである。「いくらでも出すから、この仕事ができる人を連れてきて」という状況なら、大半のポジションは埋まる。いくら出しても、その仕事ができる人がいない、というのは芸術家やごく一部の経営者、スポーツ選手など非常に特殊な技能を必要とする仕事に限られる。ワシの仕事なんて、「年収3000万円出す。キャッシュで半額前払いする」と言えば、いくらでもスキルのある応募者は集められる。会社が一カ月でつぶれそうだが。
そして、仕事は減っているらしい。にわかには信じがたいが、よくよく考えてみたら、その通りであろう。
この問題の本質は、「賃金が上がらない」ということにではなく、むしろ「世の中から仕事がどんどんと減っている」ということにあるということが分かる。世の中から仕事がなくなっているから、人々の賃金も下がっているのだ。
岩崎氏はご存じないのかもしれないが、最近はさすがに賃金は上がっている。特にコンビニは、都市部・夜間は時給1200円というのを見かけるようになった。また、同業者では、未経験者でも月給20万円+ボーナスに加えて、何か色を付けないと求人サイトでは目立たなくなっている。
それはともかく、仕事が減っているというのは、部分的にはよくわかる話だ。たとえば、雑誌のライターや編集者は20年前の1/10もいないだろう。当然である。雑誌が休刊したのだから。代わりに、ネットに公開するためのコンテンツに携わる人は10倍くらい、いやそれ以上になっているはず。ただし、求められるものが変わってしまい、ライターであれば、雑誌のライターの数十分の一くらいのギャラで書いている人がたくさんいる。今のネットメディアで1文字10円はかなり高いほうだが、昔、「400字5000円以下では書かない。なぜなら、そういうレートが一般的になってしまうと、みんな困るから」と言われたことがある。さすがに、今はその人もそのレート以下で書いているはずだが。
さて、どうすべきか。まず「奴隷」に頼る会社は、今後ますます人材不足に悩むことになるだろう。経営者は考え方を変えるべきだ。「そんなことを言っても、給与を上げたら赤字になってしまう」というなら、これまでの仕事を捨てて、別の仕事を会社の生業とすべきである。そして、「奴隷」として雇われることに慣れた者は、一刻も早く、沈みゆく船を捨てる決断をすべきだろう。もしそれができなければ、「奴隷」として一生を終わることを受け入れるしかない。
ワシ?ワシは難しいのう。
水曜日, 8月 29, 2018
外国人の国保悪用防止へ

医療目的で来日し、本来なら国保加入の資格のない外国人が「留学」と偽って保険を使うようなケースが目立つという。
http://www.sankei.com/politics/news/180829/plt1808290026-n1.html
やっと改善の方向に向かいつつある、と言うべきか。健康保険は、まずその人が所属する国が考えるべき問題であり、他国の制度を不正に利用すべきではない。もし高額な医療を受けたいのであれば、まずはその対価を支払うべき。ただ、問題もあって
平成24年、住民基本台帳法の改正に伴い、3カ月超の滞在で国保加入が義務付けられるようになった。国保加入によって一定額以上の自己負担を免除する高額療養費制度を利用することもできるため、
正規の方法で入国して3カ月滞在すれば、高額な治療も安く受けることができることになる。国保加入義務は、無保険者の保護より無保険者を治療して医療費を踏み倒される医療機関救済の意味が大きいだろう。ただ、日本国内で高額な医療を受けるために来日する人は、「金がない(惜しい)」という理由で治療途中に病院から抜け出して医療費を踏み倒す人とはあまり重ならないと思われるので、ガンやAIDSの治療など高額な医療、直ちに人命に関わるものではない医療は保険対象外とするなど、きめ細かな対応が必要になるかもしれない。
火曜日, 8月 21, 2018
Amazonでまだまだ続くデリバリープロバイダー問題

21時に入り口が自動施錠されてしまうビルに配達させたら、22時に持ってきて「不在につき持ち帰り」とか表示するのがデリバリープロバイダークオリティだが、再配達の指定時間もほぼ意味がない。14時〜16時の選択肢があったから指定したところ、上の画像のような表示に。これが実際のところ、可能な配達状況なんだろうが、それならそれで14時〜16時という選択肢を出すのではなく、「本日」「明日」とかにしてくれ。20年くらい前はそんな感じだったはず。
先日までは、配達時間を指定したらヤマトが配達してくれたのだが、最近は時間指定してもデリバリープロバイダー(SBS急配など)が持ってくるようになったので、諦めて時間指定を止めた。これでは、コンビニ預かりにすべきか。いや、コンビニにあまり負担をかけたくないので、本当は嫌なのだが。
日曜日, 4月 08, 2018
人類は世界大戦を望んでいるのか?
経済絶好調なドイツの"報道されない貧困" | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
その一方で、ドイツでは、豊かな人がさらに豊かになっていく。排ガス規制を逃れるために不正な制御ソフトを使ったスキャンダルで、大打撃を受けたかのように思われているフォルクスワーゲン社だが、2017年の純利益は114億ユーロ(約1兆5000億円)と、前年に比べ倍増。それを受けて、2018年3月に発表された同社の重役たちのボーナスの額は、CEO(最高経営責任者)のマティアス・ミュラーの場合で1010万ユーロ(約13億円)にのぼった。「富める者が貧しき者から搾取している」ように見えるかもしれないが、これがグローバリズムの結論だと思う。トランプは保護貿易主義に戻すことで、何とかしようとしている(振りをしているだけだろうが)。米国が世界中から金を借りて、国内で使いまくり、代わりに世界中にドルをばらまいている仕組みだが、ここで世界にドルをばらまくのを止めると、どうなるのかね。
それはともかく、この仕組みを変えるには保護貿易主義に戻す以外に、侵略を伴う大きな戦争をやる方法がある。可能性はほぼゼロだが、欧米が中国に侵略してバラバラにするとかやれば、あちこちで状況がリセットされよう。スマホが全然売れなくなって、ネット広告も出稿が激減し、輸出入も制限される事態になれば、自動車・ハイテク企業などは軍事・資源以外かなり小さくなって貧富の差は縮まる。国全体が軍事態勢になって、巨額の利益を上げている企業から吸い上げればさらにいい。
しかし、そんな世界は訪れないだろう。ここはひとつ考え方を変えて、世界は中世や古代ローマなどのように貧富の差が非常に大きいのが普通である、としてはどうか。もはや、戦争や独裁者など社会的な混乱なしで、所得の再分配は不可能である。ミクロ的には「世の中、こんなもんやろ」で済ませることはできる。マクロ的には、国内消費が減るので、ソフトバンクのように国内では貧乏人から広く浅く儲けておいて、海外に大きく投資する企業が増えていくに違いない。
ドイツのように移民を受け入れて社会の構成員を増やし、国内消費を補う手もある。副作用として必ず社会不安が大きくなるが、そこを我慢するかどうかはその国の市民がどう考えるかによる。移民を受け入れておいて排斥するか、現在の日本のように最初から入れないようにするか。おそらく、平穏な共生は難しいだろう。
土曜日, 3月 24, 2018
日本が現金払い主義から抜け出せない理由は何か
日本が現金払い主義からまるで脱せない理由 | 家計・貯金 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
現在、日本企業の製造現場はミリ単位の合理化を延々と続けているが、その一方で経理などのバックヤードは、相変わらず昭和時代の非効率なビジネススタイルを守っている。給与の支払いや取引先への支払い、海外送金をはじめとして、仕事のスタイルそのものを変えていこうとしない。
海外との競争にさらされる製造の現場などでは、合理化した上で、特化したものづくりにいそしんでいる反面、バックヤードは旧態依然としたやり方が定着しており、デジタル化は遅々として進まない。だいたい、いつまで領収書を紙で精算させるんだよ。100年くらいやり方が変わってないだろ。バカか。なぜ領収書を電子化して、暗号化して改竄不能な情報をスマホで読み取らせて、経理にそのまま送れるデータにしないのか。経理の補助を仕事としている奴らが、自分の仕事がなくなるのが嫌さに邪魔してるんじゃないかと思ってしまう。
なぜ現金払い主義がここまではびこったままなのか、記事ではATM利用手数料が銀行の収入のうち、少なくない割合を占めていることを理由のひとつとして挙げている。つまり、ATM網を維持するには、時間外や提携機関からATMでお金を引き出してくれる人が必要だとのこと。これはわかる話だが、その状態に安住するのはよくない。また、コメントでは、他にも理由が挙げられている。いくつか挙げておきたい。
- ネックはやはり電子マネーの無駄な多さで、金融ではなく交通や小売り企業が主導権を握ってしまった不運
- 日本が海外に比べて、安全な国である証拠ではないかな。それと、ニセ札も少ない。
- 日本は交通系電子マネーを導入するときにICカードのほうが高い区間を作ってしまった。ロンドンでは、導入当初からICカードが半額程度に設定された
- 店側がキャッシュを望むからそれに合わせてしまう。決済デバイスの導入費、維持費、決済手数料を嫌ってる
- 導入側も多額の投資が必要、規模が無いところでそれをするのは非効率だし、先に述べた交換手段の交換によるポイントなどの付与の停止、そもそもの交換の停止がある以上、現金を超える流動性は担保できる現金にかわる支払い手段は存在しない
振り返ってみれば、出版業界も上ではメディアミックスとか、SNSの積極活用とか、いろいろあるみたいだが、末端のワークフローはビックリするほど変わっていない。この20年で変わったところと言えば、(1)QuarkがInDesignになった、(2)紙ではなくPDFでゲラを送るようになった、くらいだろうか。一部の環境では、(3)編集者が組むようになった、(4)入稿データはオンラインで送付できるようになった、というのが加わるが、(4)はともかく、(3)は進歩とは言いづらい。日々、紙に出力しては、赤ペンを握って、デザイナーと紙でのコミュニケーションを続けている。まあ、フリクションボールの登場は画期的ではあったけど。
このように日本が世界標準から大きく取り残されるのには、日本人独特の思考の癖のようなものが関係しているのかもしれない。「社会全体のためには、今の自分にはちょっと不利だが、こうすべき」「今の自社には若干不利な変更だが、その先で何か取り返す方法を考えたい」「このままでは既存の仕組みは時代遅れになるから、ここは『損して得取れ』で先に進めたい」といった先を見通した考え方を持たないトップが多すぎる。その結果が、古くはガラケー天下をiPhoneで完全に粉砕された過去であり、現在あるものとしては、不便すぎてアーリーアダプターでさえ尻込みしたくなる電子マネー規格の乱立であり、これから出てきそうなQRコードによる決済規格の乱立であろう。内需だけである程度食えるから、新しいことを考えるとババを引くハメになってしまう、というのはわかるのだが、そこは各組織のトップが判断してほしい、あるいは判断すべきところだ。
金曜日, 5月 19, 2017
若者が老人を支える社会から、大人が子どもを支える社会へ
資料2 不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~(PDF形式:19,837KB)
2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。そこから逆算すると、この数年が勝負。
Facebookでは「長すぎて読めない」という意見もちらほらあったが、各ページの一番上の見出しだけ拾っていけば、現状分析のところは特に難しくない。たいしたことは書いてないが、よく資料を調べていると思う。問題は結論のところ(上の引用部分)で、やや牽強付会のきらいがある。しかし、それ以外の部分は非常にいい。こっちが結論かな。
①一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障を止め、働ける限り貢献する社会へ
②子どもや教育への投資を財政における最優先課題に

示談金目的の詐欺師がいるとか
【緊急取材】痴漢疑われた男性死亡~刑事に聞く、痴漢捜査の裏側
女性の主張を吟味もせずに丸呑みしてしまう警察官が多いのも問題。中には示談金目当てで被害を申告する常習者もいるからね。
示談金目的で被害を申告するバカは何とかしてくれ。でないと、男にとって電車の中はスラム街と同じで、いつ強盗に遭うのかわからない危険な場所であり続ける。
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コンピューター関係の話や社会問題などを時々投稿してきたが、ここのアクセスは多くない。さらに、他にX(旧Twitter)もnoteもやっていて、そちらは自分としてはまあまあ読まれているので、そちらに投稿を集中することにした。コンピューターはnoteとXに、音楽関係はXに、社会問題...
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PDF文書を第三者と共有するとき、特定の期日までは読んでもかまわないが、それ以降は乱用を防ぐために削除したいことがある。削除したいと言っても、相手のパソコンから勝手に削除することはできないので、期限が過ぎたら、共有したPDFを開いても読めないようなPDFを作って渡すのはどうだろう...
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ワインに関するスレを紹介した記事 が「ニュー速クオリティ」にあがっていたので、全レスしてみる。もちろん、今はワインを飲んでいる(笑) 11 ブサイク(ネブラスカ州) 2008/09/06(土) 13:32:24.55 ID:Css9OKw5O リースリング系のワインを呑め 考え...









