Sunday, March 03, 2019

「真面目」「お人好し」は悪徳

ワシが中学生や高校生の頃は、「彼は真面目だ」と言えば、それは褒め言葉であった。学生の頃はそれでもいいのだが、ビジネスマンとしての活躍を求められるようになれば、「君は真面目だ」と言われれば、それは貶されているのだと感じなければならない。

我々の中から一つの才能が表に現れてくるときには、必ず、その才能に見合った人格が表に現れてくるのです。『なぜ、優秀な人ほど成長が止まるのか』(田坂広志、ダイヤモンド社、p.174)

つまり、一つの人格だけで仕事の全場面を乗り切ろうとするのは、真面目であっても効果的ではなく、成果に結びつかないことが多いということだろう。

また、「お人好し」ももはや悪徳である。人に好かれるのはある種の立場の人には必須かもしれない。しかし、自分が損をするような選択肢も、相手に言われたらそのまま受け入れてしまうような性格は、結果として自分を苛み、周囲の人にも回り回って悪影響を与える。道理に合わない要求は正しく断るのが誰にとっても良い。

生きていくのに必要なのは、戦略である。戦術ではない。人生はある一時期だけうまくいっていても仕方ない。全体として破綻のないようにマネージする必要がある。そして、真面目な奴はそれに失敗することが多い。わかりやすいのが学歴だけがすごいが、その後の人生がパッとしない、入試に最適化したバカだ。

…というのが、ミクロ的に社会を見た時の話。マクロ的に社会を見ると、真面目やお人好しを軽んじるようになると、社会的なコストが上がる。先のことを考えずに、安価にいいものを作るという職人の文化は、陳腐化したときに社会の効率化の足を引っ張るので悪者になりがちだが、これをすべてなくすのが本当に社会のためになるのかは、よくよく考えたほうがいい。給料は高くできなくても、社会的な評価を与えておいたほうがいい仕事はたくさんある。今の日本社会に問題があるとしたら、そういう考え方を国の上層部が忘れつつあるようにしか思えないことだ。これもグローバル化の顕現なのであろうか。

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