Saturday, April 27, 2019

「親をリストラして、子供を雇う」という無限機関は動作するのか

Image from Gyazo

いまどきの企業が欲しくて仕方がない若者という「資源」は、いまどきの企業がリストラしたくて仕方がない40~50代の社員の家庭で、子どもという「原材料」からつくりあげられている。

「45歳以上はリストラしたい」+「高技能の若者が欲しい」=「子どもが増えない」 - シロクマの屑籠
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190424/1556094600

親をリストラして、子供を雇う。1つの私企業としては最適な判断だろう。それぞれの個人のもっとも「使える」時期に働かせ、「使えなく」なったら捨てる。しかし、社会全体としては、そんなに簡単ではない。リストラ対象になる45歳の社員の子供はというと、今時ならまだ大学を出ていないことが多いだろう。リストラされた社員の息子は、金銭的に十分な教育を受ける機会を奪われる。リストラする方に回れた社員の息子はいいだろうが、数としてはリストラされた社員の息子の方が、この考え方に基づくなら、多くなるのではないか。これは部分最適化が全体にとって最適ではない判断のいい例だろう。あるいは、ミクロ的には正しくても、マクロ的には誤っている判断とも言える。

もちろん、単純な年功序列など大企業であっても、もはや夢物語に過ぎない。歳をとるだけで敬われる時代はすでに終わっている。しかし、歳をとれば必ず捨てられる時代が来たと感じられるなら、大変なディストピアが実現したことになる。年寄りはいつまでも(金のない状態で)生きねばならず、若者は数十年後に必ずそうなると思えるなら、もはや希望はどこにもない。1人あたり数千万円の投資に相当する子供を産み、育てることに踏み切れないのもわかる。社会のごく一部、景気のいい業界に居場所を見つけ、そしてSNSなどで自意識を満足させつつ、大多数の幸福には目を瞑ることのできる人間のみが、この社会を望ましいものと考えられる。そんな時代がすでに到来しているのではないか。

 

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