Thursday, April 11, 2019

文系の大学院は墓場への道か

Image from Gyazo

組合の志田昇書記長は、「非常勤講師はかつては研究者の『最底辺』の職だったが、今はそれすら難しい」という。常勤教員でも、募集の多くは任期付き。これでは人生設計が立てられない。「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。せっかく育てた人材が、どんどんドブに捨てられている」

「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた
https://digital.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html

記事を何度も読み返した。非常に辛い。

西村玲氏は、大変優秀な研究者であったとのこと。勤勉で、かつ実績があっても大学に籍を置くことができない。マクロ的な視点から見れば、大学で必要とされないジャンルの研究は「無駄」である。西村氏の研究領域は、パッと見ただけでかなり厳しいだろうと想像できる。近代思想史、しかも仏教だと、哲学より需要が少ないだろう。そういうジャンルは、どうしても削減される対象になりやすい。これをひっくり返すのは難しい。

社会としてできることは、博士課程に進学したが、大学など研究機関に職を得ることができなかった人を一般企業などに迎え入れるルートを(補助金を出してでも)整備するくらいだろうか。博士崩れは、身体障害や発達障害を持つ人よりも少ないだろうし、なんとかなって欲しい。個人的には、そう強く思う。

ミクロ的に見るなら、もう少し戦略的に動けなかったのか。本当に研究を続けたいのであれば、もうちょっとポピュラーなところ(近世日本文学とか?)で実績を作って職にありついてから、好きな分野にスライドすればよかったのかもしれない。しかし、そんなことをしていたのでは、とてもこの量の研究成果は残せなかっただろう。

また、結婚が(特に女性にとって)最後の砦であることは確かだが、40代になってから1回り年上の男性との結婚はリスクが大きい。できれば、20代に結婚を考えて欲しかった。

好きなことを見つけ、人並み以上に努力していれば、お金持ちにはなれないまでも、生きていくことはできる。両親はそう信じて生きてきた。一人娘も価値観を共有していたという。

大変残念ながら、もはや「人並み以上に努力していれば、生きていくことはできる」という時代は終わった。日本では、とにかく戦略的に動かないと、努力は必ず搾取される。そして、生きていくことができなくなる。善人は、道端で朽ちていくのだ。もちろん、それでいいという人もいていい。そういう人が生活できる世の中になって欲しいと思う。しかし、もう無理だろう。ワシは優秀な研究者ではなく、そのルートからドロップアウトしたからこそ、まだ生きているのかもしれない。

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