Sunday, December 02, 2018

佐藤葬祭佐藤信顕氏に反論する

香典の問題は、問題のある振る舞い(おもに「出さない」「少ない」かな)を見たからと言って、軽々に批判すべきではない。お金は、持っている人は持っているが、持っていない人は本当に持っていない。また、多少持っていても、使い道が完全に決まっている人もいれば、老後の不安が強くて、財政的には出せても心情的には出せない人もいる。このあたりは、察するしかない。

佐藤氏は「香典は任意である」と言うが、実際には難しいケースも多くないだろうか。個人的には、親戚関係の葬式に出たのが学生時代で最後、あとは弔電で間に合わせたので、大きなことは言えない(以前の同僚が若くして亡くなったときは、出席して5000円を包んだ)が、手ぶらで行って記帳すれば、何か言われそうなことは容易に想像できる。「できる範囲で故人を送ってあげようよ」という主張にはまったく賛成だが、それが本当に許されるのか。私は許したいが、ほかの人がそうであるかはよくわからない。逆に、香典の少なかった人、持ってこなかった人の陰口を叩く人が結構な数いそうなのだが…。

「自分の損得だけを考えて、人のために何かをするのが尊いという考え方を持たないと、非常に危険な状態に陥る」という考え方には諸手を挙げて賛成したいが、そこに「世間で常識とされる金額を香典に包むべき」という考え方がない場合に限る。もし「世間で常識とされる金額を香典に包むべき」という考え方が含まれていれば(佐藤氏の考え方には含まれていない)、とても賛同するわけにはいかない。

もうひとつ、動画の最後に「一人一人の生き方は自由なのだが、そのぶん結果の責任も全部自分で負わねばならないのは非常に怖い」と言っているが、これはワシ的にはまったく受け入れられない。非常に強力な同調圧力である。モダンあるいは近代は、「自由から生じたことの責任は自分で負う」のを基本としている。自分の行為の責任を自分で負うのを基本としつつも、どう助け合っていくのかを西欧では何世紀にもわたって考えてきた(遅くともカント以降)。このような圧力に負けないために効果的な反論をしようと思えば、わかりやすい方法として、葬儀も香典も否定しなければならなくなってしまうのが残念だ。

ワシ的には、ワシの葬式は香典不要(受け取らない)としたい。あるいは、選択肢を出す。

  1. 香典(金額自由、1円以上、香典返しはしない)
  2. 献花(菊でなくてよい)
  3. SNSなどに写真付きで投稿(ワシの写真を撮って「アホ」「クズ」と書いてあっても可)
  4. 手紙(長さ自由)
  5. スピーチ(おもしろくないものは、ワシが棺桶の中から鐘をひとつ叩くので即時中止)
  6. 漫才・落語(おもしろくないものは、ワシが棺桶の以下略)
  7. 歌(下手なものは、ワシが以下略)
  8. 嘉門達夫とエスパー伊東とMr.オクレを呼ぶ

…ワシはいいんだが、親族が嫌がるだろうなあ(苦笑)。

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