数年前、XML屋さんたちがセミナーで盛んに「ワンソース・マルチユース」という言葉を口にしていた。確か、Adobe InDesign関連のセミナーだったと思う。その後、ワンソース・マルチユースの考え方はどのくらい一般的になったのだろうか。少なくとも、私の身の回りでは、その言葉を口に出す人さえいない。おそらく、ソースとなるコンテンツを使い回せるように整形する手間の方が、ソースを新たに作り出すよりも大きいので、意味がない…という結論に至っているのだと思う。例えば、ある書籍の著作権者がこれをWebにも使おうと思ったときに、組版データをWebでも公開できるようにするよりも、ゲラとか書籍そのものとかをもとに、ライターが書き起こした方が安くていい。きっとそんなところだろう。
昨今の出版不況により、著作権料や制作費が大きく削減されている。これを打破するために、個々の人たちが「売れる本」を作るために努力するのは当然としても、それだけでは出版業界全体が力を盛り返すことはない。他の「売り方」を考えるしかない、と思う。書店という流通販路を使って別のものを売るのもいい(すでに、毎週刊行される付録付きの雑誌とか、利用している人たちはいるが)が、これは出版社の考えることだろう。私のように、下請けで作っているポジションにいる人間としては、自分たちの売りとなるコンテンツにもっと高い値段を付けてもらえるように、何か方策を練らねばならない。
一つは、より価値の高いものを作ること。そして、同じものをより高く買ってくれるところに売ること。最後に、別のところで売ること。コンテンツは売ってもなくならない(著作権を完全に売り渡したら別だが)ので、最後の手が使える。つまり、書籍に使ったものをWebでも使うということ。出版社と交渉して、著作権料や制作費の減額に応じる代わりに、出版契約を変更し、別の形での販売を認めてもらう、という手があるのではないか。
「じゃあ、電子書籍で」と、PDFでの販売をすぐに思いつくだろうが、これはダメ。雑誌をPDFで販売する試みは、今のところ、すべて失敗している。米国でのKindleのように、多くの人が使う端末が登場しなければ、うまくいく理由がない。このあたり、未だに誤解している業界人がたくさんいるので、呆れる。
では、どうするか。切り売りである。コーナーごと、コラムごと、特集のテキストと画像のみで販売する。ただし、買ってもらう相手は読者ではない。別のメディアだ。Webなどのネットだけではない。極端な話、フリーペーパーでもいい。一番有望なのは、ケータイサイト。今の日本でもっとも人を集めやすいメディアだ。必要なら、紙のコンテンツの方をケータイ用に最適化しておいてもいいくらいだ。
そのときに問題になるのが、冒頭のワンソース・マルチユース。コンテンツを簡単にいろんな使い形で使い回すのに、ライターとか編集者とか、人間を使っていたのではコストがかかりすぎる。現在、RSSによるニュース配信がいろいろな形で出てきたのと同じように、紙媒体からWebなどデジタル媒体への再利用可能な形での制作を、今こそ進めないといけないと思う。リライトに人間の力を使うのはバカバカしい。ライターがテキストを起こして、編集者がチェックしたら、雑誌とWebとケータイに同時に出てくるような仕組みができないものか。人間は企画を作るところに注力した方が、みんなずっと幸せになれる。
…とまあ、こんなことを数年前から考えているのだが、どうにもなかなか。
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