Photo ACで適当に検索したら、こんなに大きなオネーチャン写真がヒットした。
アホ天才は世の中をバカにしているので「地方に移住してブログを書いてクラウドソーシングでハッピー!」なるアメリカン・ジョークを真に受け、信じてしまうのである。
騙すのと騙されるの、どちらが悪いの? - Everything you've ever Dreamed
フミコフミオ氏は3年半前からイケハヤ師をディスってたんだな、という話はともかく。「騙す側と騙される側のどちらになりたいか」と聞かれると、自分は正直者で善良だと思ってもらいたい人は「騙される側」と答え、実利を追求するのが人間であると考える人が「騙す側」と答える。質問自体が無意味なので、回答もまた意味を持たないが、特別な技能も太いパイプも覚悟も持たない人がフリーランスになって生活費を稼ぐとなると、一番早いのが最近ではオンラインサロンを作って、信者から小銭を巻き上げる手法のようである。難しいのは、特に他人に提供できるリソースを持っていない人だけが集まって、なんにも役に立っていないと思われるケースが多い(と思われる)反面、小銭の代わりに提供される場が本当に役に立つケースもあることだ。大半のオンラインサロンは、主宰者が食べていくためにのみ役に立っているように思えるが、しかしそうではないサロンも存在していることだろう。
ワシの父は、幼少期から厳しい環境に置かれていたこともあり、騙される側よりも騙す側に回って家族を養った。ワシはというと、圧倒的に騙される側に立つことが多い。自分でも呆れるくらい、お人好しである。幸いなことに詐欺にはあまり引っかからないが、仕事ではもう本当に騙されてばかり、というか、バカ正直なことをして損をすることが多い。なぜか、引き寄せられるようにバカ正直でお人好しな選択肢を採ってしまうのだ。それでいて、いいことばかりしているのではなく、それなりに悪いこともしているのでタチが悪い。悪人になれず、そうかと言って善良でもないコモノ、というポジションにがっちりハマるタイプだ。父のやったことの報いを受けているとでも思っておくのが、精神衛生上、良さそうだ。
もう一つ重要なのは、騙す側に回ったとき、それでもなお実際に騙すかどうかは、その人の判断にかかっているということだ。なんでも事実を全部ありのままに言うのが、常にいいとは限らないだろう。しかし、個別の場面で目の前の相手を騙すかどうかは、いつも騙す側の意思にかかっている。騙される側は、意思によって騙されたり騙されなかったりするわけではない。ここに非対称性が存在する。そのことは忘れないほうがいい。
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