金曜日, 9月 25, 2009
葬式は死んだ人のためのものじゃない
昔からある儀式には、それなりの意味がこめられていることが多い。単純に「習慣だからやる」「意味がないから止める」というのは間違いだ。
葬式も同じ。「坊主に払う戒名料や読経料がもったいない」「葬式屋がぼったくり」というのはわからないでもないけれど、「だから、葬式はしない」というのはよくない。
以前、近い人を亡くしたとき、諸般の事情で葬儀に出ることができなかった。急病だったのと、たまにしか会う機会がなかったこと、お墓がないことなどから、未だに実感がわかない。数年前に聞いたきりのその人の声が、未だに耳に染みついたままだし、どこか遠くへ旅行に行って、私はその帰りを待っているかのようにも思える。
葬儀は、残された人がその人の死を受け入れるために重要な役割を果たす儀式だ。だから、省略しない方がいい。どんな形にせよ、ちゃんと執り行って、みんなで集まって泣く(泣かなくてもいい)機会を提供すべき。
ふと、そんなことを思った。
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