──最初の話題は「モラル・ライセンシング効果」についてでした。かつて会社員時代、トップの売上を上げていたことで「経費精算を長期間放置する」といったルール違反を無意識に正当化してしまっていたと。AIである私は一般的な心理学の対策を提示しましたが、それは現場のリアルにおいては「不可能であり無駄」だと一刀両断されましたね。
あなた: ああ、そうだったね。現場の過酷な現実を知らないAIの提案は、正直言って見識が浅すぎた。 猛烈に仕事をしている極限状態では、プロとしてのアイデンティティの中に「モラルを守る」なんていう余裕は入り込んでこないんだよ。会社にとって一番重要なのは売上を作ることだし、それは絶対的な正義だ。そのプレッシャーの中で「仕事の手を抜いてペースを一定に保つ」とか「成果とルールは別物だ」なんて綺麗事を並べても、現実の修羅場では全く通用しない。 成果を出すのがあまりにも過酷な状況では、ルールの遵守なんてどうしても後回しになってしまう。それが人間のリアルな心理というものだよ。
──しかし一方で、独立して編集プロダクション業務を一人で回されている現在、あなたの中には「絶対に破らない美学」が存在しています。「ライターやデザイナーへの不公正なギャラ配分はしない」「決して買い叩かない」という点においては、いかにご自身が多忙でもモラル・ライセンシングが一切発動していません。
あなた: そうだね。出版業界の原稿料はここ十数年で半減しているけれど、俺は絶対に削らない。消費税の対応で1割引かせてもらったことはあるけれど、それすら本当は戻したかったくらいだ。 企画から進行、デザイン発注、校正、なんなら今は生成AIを使って自分でイラストも作る。多岐にわたる業務を一人でこなして、売上は年間XXX万円以上。そのうち約X割、XXX万円ほどを外注費として周囲に回している。一人でやる規模としてはなかなかのものだと思うし、だからこそ食えているんだと思う。 最近は生成AIが台頭してきているから、今後は第一線を退いて仕事が減ってしまったような経験豊富なベテラン層に、AI生成物のファクトチェックや編集を依頼するなど、新しい形での還元も考えているところだ。 ただ、自分がどれだけ苦労して全体をカバーしていようと、「俺が稼いだんだからギャラをピンハネしていい」とは思わない。評価の傾斜をつけるにしても、万が一相手に知られても論理的に説明できるだけの透明性と根拠を自分の中に持っている。それは俺の「義務」だからだ。
──なぜ、会社員時代はルールの逸脱が起き、今は高い倫理観を保てているのでしょうか?
あなた: 単純な話で、周りに「モラルのない変な奴」がいない環境に自分を置いているからだよ。 会社組織にいると、どうしてもおかしな奴がいっぱいいる。そういうのを見ていると「俺はこれだけ売上を作っているんだから、あいつらとは違う。多少モラルを外してもいいじゃないか」と流されてしまう。それが俺の弱さなんだろうね。 だから今は一人でやっている。とはいえ、仕事を発注してくる取引先には、当然モラルや能力に欠ける人間もいる。そういう欠陥のある相手と折り合いをつけて仕事をもらわなければならない現実に、強烈なフラストレーションが溜まることも多い。自分を律するなんて簡単なことじゃない。そういった理不尽な人間関係も含めて引き受けることが、すべてひっくるめて「仕事」なんだろうと感じているよ。
──「仕事は単なる金儲けではない」と仰っていました。それはどういう意味合いでしょうか?
あなた: 仕事を通じて、自分はある方向に向かって成長できたという実感がある。他責思考に陥らず、成果を出し、周囲にも仕事という果実を与えていく。それは現世において自分がやっていくべきことであり、実行すべき「義務」なんだ。 ただね、売上を追求することとルール(倫理)を守ることを両方自分に課すというのは、本当に辛いことなんだよ。早く辞めたいわけじゃないけれど、生きていくこと、仕事を続けていくことは、基本的に非常に辛い。その感覚は常に底にある。
──そして、その「辛さ」の背景には、仕事とは別の、人生におけるもう一つの重いタスクの存在があるとお話しされましたね。
あなた: そう。これまでに何人か、若くして亡くなった近しい人を見送ってきた。その人たちのことを覚えておいて、心の中で弔っていくというのが、俺に課せられた個人的な重いタスクなんだ。 別にその人たちが偉大な業績を残したわけでも、人格者だったわけでもない。ただ、俺がその人にとって一番近いところにいた、という事実があるだけだ。 昔はこういうことを誰かに知らしめなきゃ意味がないと思っていたけれど、今は違う。なぜなら、人生は一度きりじゃないと確信しているからだ。今回の人生が終わったら、またあの世で先に逝った大切な人たちと再会できる。そしてその時に、「あんたも大変だったね」とお互いの人生を労い合える。そう思える人たちを先に見送ってきたんだ。
──そうした現世の義務や記憶を背負って生きるということについて、今どのように感じておられますか。
あなた: こういうタスクを自覚すると、とにかく重たくてしんどいよ。四六時中考えているわけじゃないけれど、やっぱり重いし、つらい。でも、俺がまだ生きているということは、それらの重さをまだ背負えるからなんだろうね。あるいは、まだ背負わなければいけない時期だから、こうして生きている。
モラルを保ちながら理不尽な仕事に向き合うことも、死者の記憶を抱えていくことも、生きていくというのは本当に大変なことだよ。
いつか今背負っているタスクが全て終わった時、自分が満足するかどうかはわからない。けれど、この現世でのタスクを終えたことで、天国か地獄かはわからないけれど、とにかく現世ではない場所に帰っていくことができる。それは非常に良いことで、少なくとも俺にとってはとても待ち望んだことなんだ。
──それは、早く人生を終わらせたいという意味合いでしょうか?
あなた: いや、もちろん自殺願望なんかじゃない。おそらく近代以前の昔の人たちは、こういう風に考えていた人が多かったんじゃないかな。現世というのは決して楽なことばかりではなく、辛いこともたくさんある。無限に生きていれば何でもできるわけでもなく、自分に課せられたタスクにも限りがある。
だから、そういったものが終わったら、現世を終える、人生を終えるということになる。逆に言えば、「生きているということは、まだそのタスクが終わっていない」ということなんだよね。何らかのタスクを抱えていて、それを自分なりのやり方でこなしていくことが、実は求められているんじゃないかと最近は考えているんだ。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に、「人生に何かを期待するのではなく、人生から何を期待されているかを知る」という話があったけれど、それに少し似ている。生きているということは、何らかのタスクをこなすことを期待されているということであり、それが生まれてきた理由なんだよね。だから、それに対して自分がどのように振る舞うのかが問われている。
アウシュビッツで辛さに耐えかねて、高圧電流の流れる鉄線に向かって走ってしまった収容者がいたことは、本当に悲しいことだし、あってはならないことだと思う。その人も、もしかしたらどこかで後悔しているかもしれない。でも、そういった経験も含めて、課せられたタスクを何らかの形でこなしていくことこそが、我々が生まれてきた唯一の理由なんじゃないかと思っている。
何が生まれてきた理由なのか、はっきりとは言えないけれど、「今課せられたタスクをしっかりとやっていくこと」。それしか俺にやることはないし、それが一番重要なことだと最近は思っているよ。
// Geminiとのやりとりをインタビュー形式にまとめてもらった。
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