2008/09/25

子どもに教えたいこと

子どもに何かを教える立場を離れて、もうずいぶんになる。自分が子供を持つ機会もないかもしれないが、もし何かを教える機会があったとしたら、何を教えればいいだろうか。ちょっと考えてみた。

最優先なのは、強くなること。「強い」というのは「生物(せいぶつ)として生きる力を持っている」と同義で、他人より何かが秀でているとか、そんなことではない。他人から非難されても、虐げられても、希望の持てないような環境に置かれても、それでもなお自尊心を持って生きていけることを、私は「強い」と言いたい。調子のいいときに、自分の都合のよいように周りを振り回すことは、少なくとも私の定義では「強い」とは言わない。



強くあるためには、いろいろなものが必要だ。まずは幼少期に両親から無条件に存在を肯定されること。「悪いことをしない子だから、愛する」「成績がよいから、愛する」といった条件付きの愛情は、子どもの人生を半世紀以上にわたってむしばむ。「親に愛されなくても、生きていけるし、同じ程度に愛してくれる人もいる」という事実に身をもって気付かなければ、それこそ一生、強くなることはできまい。

その時々の年齢に応じた仲間との交流も必要だろう。友人からの承認とでも言えばよいだろうか。そして、両親に次いで重要なのが、異性からの愛されること。性的な人間としての自立は、両親からの無条件の愛情をもらえなかった人間にとって、唯一のよりどころである。依存しすぎないよう、踏みとどまって自分を再形成できるか。「強さ」を手に入れるために、どうしても逃せないポイントだ。



強くあれば、いろいろなものが手に入り、そして他人に分け与えることができる。地位や財産は当然ながら、関係ない。いくら弱くても、それらは豊富に手に入れることができる。強ければ、自分への批判も正面から受け止められるし、あるいは聞き流すこともできる。強くなければ、批判に右往左往し、あるいは耳をふさぐことになる。強ければ、自分の醜いところも直視した上で、それを受け入れることができる。強い人間は、いろいろな出来事を希望の持てるように咀嚼した上で、他人に話すことができる。希望を分け与えていると言えようか。



ふと思いついてぱらぱらと書いてみたが、この意味で「強くなる」ことは非常に難しい。でも、「ほんの少しずつでも強くなれ」と子どもには教えたい。
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