Friday, September 12, 2008

「モリー先生との火曜日」読了

「モリー先生との火曜日」(NHK出版)を読了した。いろいろ考えさせられる本だ。その中から、本質的ではない部分をちょっと引いておこう。
「結婚というのは、テストされるんだよ。自分がどういう人間か、適応できるかできないか、それを見つけるのが結婚だ」(S.151)
ゴールでもスタートでもなく、試練の続きということか。

もう一カ所、これは少し本質的。モリー先生の死期が近くなり、「ぼく」とモリー先生は、モリー先生が死んだ後、「ぼく」が墓参りに来たときのことを想像する。
ぼくはモリーの墓を思い描く。丘の上、池を見下ろす場所。三メートル足らずの小さな土地。そこにモリーを置いて、土をかけて、上に石を乗せる。あと三週間くらい?それとも三日?ぼくはそこにひとりで座っている。膝の上に手を組み、宙を見つめて。/でも、いつもと同じじゃないですね、先生の話すのが聞けないんだから。/「ああ、話すねえ…」/モリーは目を閉じ、にっこり笑う。/「そうだ、こうしよう。私が死んだ後は、君が話すんだ。私が聞く」(S.172)
もしかすると、身体というのは、心の入れ物でありながら、同時に心を閉じ込めている檻なのかもしれない。そこから出て行くときの自由さは、どんなものなのだろうか。

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